渋谷のドキュンの反動で完全に克服したオレの弱点がある。
それは、視線恐怖症だ。
昔は街歩けなかった。特に日中は。
冬場は日が暮れていても家の中から外に出ると、体中にブツブツが出て、痒くなるという症状が出ていた。寒冷からなのかストレスからなのかあるいはその両方なのかわからないが、大学生の頃はそれが悩みだった。街でも常にうつむき加減で人を見ないようにしていたし、大学内はおろか、そこまでの移動そのものが結構なストレスだった。駅から大学への道のりで、そのヤバイ感じが顔に出ていたのか知らんが、前を歩いていた小学生が時折こちらを振りかえり、そのうちダッシュで逃げていくという、事案一歩手前の出来事もあった。
しかし、10年ぶりに長期引きこもりを経て、散歩するようになってからはそのストレスからだんだん解放されていく自分を感じていた。
最初は非常に歯がゆく歩いていたが、それも半年以上続けていく内に、散歩自体を楽しめるようになり、都会の景色などを見て心を揺さぶられていると、人自体に以前ほどの緊張感、恐怖感を感じなくなっていってた。
人から見られてるんじゃないだろうか?⇢いや、誰もお前のことなんかみてねーよ⇢でもオレは人を見ないようにして入るものの、視界に入れば見る⇢ということは、他人もそうなので、他人も視界に入ればオレを見る⇢見てんじゃん!
とかいう謎の自問自答を繰り返し、悶々としていたが、結論はこうだ。
そりゃあ、視界に入れば見られる。だが、意識はされていない。
誰もお前のことなんか意識してねーよ。視界に入ればみるけど。
という考えに至った。
慣れがそうさせるのだろう。だからここ1ヶ月はもうリハビリも最終段階に入り、ほぼストレスなく歩くことが出来た。平日にいる浮かない顔のリーマンレベルにまでは持ってこれた。
ただ、まだどこかぎこちなさが最後に残っていた。
しかし、渋谷のドキュンに○○に似ている人がいると言われてからは、完全に吹っ切れて、ようやく最後の鎖が解き放たれた。
このぎこちなさの原因が「オレは○○に似ていると街行く他人に思われてるんじゃないか?」という漠然とした危惧だったのだろう。そして、赤の他人に思ったことを口に平気で出す悪ガキとの邂逅を経て、一言で言えば「開き直った」のだ。
以前のオレだったら、「ああ、やっぱり○○に似てるんだ」きっと全員が口に出さないけどそう思ってるんだ。バカにしてるんだ。心の中でほくそ笑んで嫌がるのかと、疑心暗鬼になり、自分の殻に閉じこもっていた。
しかし、もういい歳のおっさんだ。思春期の頃とは状況が変わってるし、別に学校へ行く義務もない。そう考えると、○○に似てると思われても別にいいじゃないか。ほら、あそこの小っさいおっさんだって、チビマリオだと思われてるんだとか、あの人鼻の穴でけーなぁ、マキバオーみてーだ。とオレ自身が思っている。
オレがそう思ってるんだから、周りの人間もそう思ってるだろう。
何もオレだけじゃない。みんな心のなかで悪気のない悪口を巡らせているんだ。
口に出すか心の中にしまっておくか、さして違いはない。
だから、口にされたオレだが、別に気落ちする必要はない。
オレの場合はたまたま口に出されて確信したが、その確信からこういう発想に至ったのかどうかは知らんが、今のオレは完全に吹っ切れている。
街を何のストレスなしに平然と歩けるし、周りの人間を意識して顔が硬直したりもしない、周りの風景を楽しみ、周りの人間模様を目の端で捉える。
視線恐怖症を完全に克服したのだ。
ただ、気落ちする機会は多々ある。土日のカップルやファミリーね。
だが、どす黒い嫉妬と羨望の気持ちなので、視線恐怖とは関係ない。だから、視線恐怖は治ったものと思われる。