クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

世の中にはいい加減なことがいっぱいあるらしい

 

岡本太郎の『自分の運命に楯を突け』30P 自分のスジを守れ より、

 

キミが純粋であればあるほど、この世の中の矛盾に傷つきながら生きていかなければならない。

この世の中には、いい加減なことがいっぱいある。不純なものと純粋なもののふたつの対立で成り立っているんだ。

 

 

俺は純粋なのかもしれない。どうしようもなく。

そして世の中は矛盾しているらしい。

 

社会に出ていない学生時代ですらその片鱗を感じたものだ。

社会に出れば矛盾だらけなのかもしれない。(俺は外には出てるが社会には出ていない)

そして学生時代とのギャップなりで会社を3ヶ月とかでやめてしまう新入社員とかがいるんだろうか。

そこを越えると、だんだんと不純な(俺にとっては)社会人へと染まっていく。

晴れて立派な社会人。要するに不純な部分を内包できるようになるのだろう。

 

 

世の中の不潔なもの、不純なものと、よほどの精神力をもって対応してやっていかないと、自分の純粋さは保てない。つまり不純のなかでどう自分の純粋さをコントロールしていくか、この生き方こそ大変だし、また極めて人間的なんだ。

 

 

 

不純に染まれば楽なのかもしれない。

みんなそうやって生きているのかもしれない。

子供時代から学生時代を経て周りを見ているとなんとなくだけどその片鱗を感じた。

 

例えば俺はタバコ嫌いだ。

しかし働くとなるとタバコを回避できない気がする。

タバコにまみれた環境に身を長い間置いていたらその環境に慣れて、気にならなくなるかもしれない。そして奨められるがままに一服。

そして、あれほど嫌いだったタバコに依存してしまうかもしれない。

そして、なるかもしれない。ヤク中だのゴミだの悪態付いたタバカスに。

 

その不純に飲み込まれずに自分をコントロールすることこそ人間的な生き方ということなのだろうか。企業の不正を内部告発する人間もこういう生き方をしてきたのだろうか。

腐敗した閉鎖的な企業に浸かっていたら、皆で口裏を合わせて既得権益を譲るまいと不正を盤石にしていくだろう。俺がそのメンツだったら。

 

この中の矛盾の例がいまいちピンとこない(知らないから)。

この本では、自分が嫌いな相手に心とは裏腹に媚びへつらったり、心の中で軽蔑しているクソみたいな上司にヨイショして調子を合わせるなどの例が挙げられている。

 

自分のスジを守れ。つまり自分の信念を曲げるな。ブレるな小僧!ということだろうか。自分をごまかして生きる生き方か・・・。ずっとそんなんだったな俺は。

 

言いたいことも言わず、ひたすら自分をごまかして演じたくもない無言キャラを演じ、もうなにやってたんだろうな。

 

やっぱ苦痛で仕方なかったよ。自分を出せないことへの苛立ちとそれに恐怖を抱えている自分の情けなさ。どうして俺はこんな内弁慶もいいところな生き方をしてしまったんだろう。

 

この本に書いてあったけどそういう生き方をする人間はコンプレックスを抱えているらしい。

はい、大当たり!

まるで占い師の予言のような本だ。よくある自己啓発本かと思ったけど、岡本太郎が書いているので一味違う。