脳では言葉を話す数百倍以上のスピードで言語や映像の情報処理をしているといわれています。そのスピードがあまりにも速いので、自分でも気がつかないまま、多くの情報が活かされずに埋もれてしまいます。だから、一度言葉に落としてみないと、脳で考えていることが明確になりません。
(イタい人にならない自分発信力 原村和子著 42ページより)
痛いところ突かれた。
インプット過多でアウトプット皆無人間だった俺をひょっとして皮肉っているのかと思うほど的確なご指摘。
速読みをしているとスピードに理解が追いついていない、もしくは追いついていたとしてもポロポロこぼしまくる。
そして埋もれる。
一度言葉に落とすというのは、ブレインストーミングの場でのコミュニケーションを想定しているのかわからないが、そのような経験がない俺にとって最近見に覚えがある。
それは、ノートに書くということだ。
一度ノートに落とすことにより、意外にも考えが整理されるのだ。
意外にもという表現に違和感を覚える人もいるかもしれないが、俺は自分のことを天才かなんかだと勘違いしていた節があったので、ノートなんぞお構いなしにインプットをしていた。そして、答案に向かう時にその取りこぼしに気づく。バカだw
そこで身の程を知り、自己反省して、己に対する傾向と対策を練ることができていたら自然とノートにアウトプットするなり、赤と緑のペンと下敷きで隠すなりして知識の確認作業をするのが常人だと思う。
ただ、俺は読むことは苦じゃなかったが、知識の確認作業(要するにアウトプット)が
どうにも面倒だった。
だから、「はい、読んだ!(どうせ覚えただろう)」と、お茶を濁す。知識の定着を確認しないで膨大な知識を放り込むことは楽だから。それに達成感もある。
がっー!って読み切ってしまえば、それなりに達成感がある。
勉強したなぁ!さてゲームやろお!ってな感じで。
さらに効率化(実状は真逆・非効率の極み)するために、ゲームのレベル上げがてら暗記物のCDを聞くという信じられない愚行も当たり前のようにしていた。
天才だから、聞き流すだけで覚えられたと思っていた節がある。大バカだw
昔は覚えられていた。そんな苦労をしなくても。
でも成長する過程でそのスポンジのような吸収力は失われる。
みんなそんなところだろう。そして自分の限界に気づき、地道に愚直に暗記作業をシコシコこなす。
俺は昔は昔と割り切れなかったんだろう。ガキだから。愚か者だ。
そして30過ぎた今。俺はノートに考えを落としたり、ブログでアウトプット(主に愚痴だけど)を始めている。
失うものは大きかった。敗因は自分を見誤ったことと、恐るべき怠惰。
結局のところ、とんでもないところに行くためには地道にコツコツ、積み重ねるしかないのだ。
byイチロー