クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

俺の死に際

自分の年齢が30を越えてくると、もう祖父母クラスになってくるとぼんぼん死んでいく。母方、父方いずれの祖父母も最近全滅した。

 

しかし、特に泣くこともなかった。それほど恩恵を受けてきたわけではないからからかもしれない。

 

これが、おじいちゃんこ、おばあちゃんことかだったら凹むんだろうけど、俺はむしろ逆にかわいくないこだったんで、いい思い出はあまりない。

ものを買ってもらえば、もので釣っているとうがった見方をして感謝もロクにしないような糞ガキだったんで、ちやほやする側も面白くなかっただろう。

 

自分は薄情な人間なのかわからなくなる。

しかし、飼っていたペットが死んだ時は3日間感情失禁に度々襲われるくらいショックで泣いてばかりいた。1週間程度でやっと収まったけど。気持ちの低調は1ヶ月ほど続き、その期間オナニーもする気も起きなかった。

この差はいったいなんなんだろうか?

 

ちなみに、祖父母とは別居だ。同じ家に暮らしてはいなかった。一方犬は10年以上同じ家に暮らしていて、俺にもなついて、無償の愛を提供してくれた。

結局は差はそこなんじゃないだろうか。

 

俺に愛情を与えてくれたかどうか。

逆説的に言えば、死んだ時に涙を流せるかどうかで愛されていたかどうかがわかるのかもしれない。

涙を流してくれる人間が多いほどその死んだ人はいい人だったのだろう。

いい人というのは周りに愛情を注いでいたとか、優しくしたとか、何かを与えたとか。感謝されるようなことをたくさんしたから、皆が集まってその人の死をいたんでくれる。

 

そのためには、周りに人が集まるような、周りから慕われるようなファンみたいな人間が必要だ。

そのためには、自分から進んで何かを与えないといけないし、また一方で与えられて、この好循環でそういう人たちがどんどん連鎖的に増えていくような気がする。

 

そう考えると、俺の死に際はこのままいくと、まず誰にも看取られない。

悲しんでくれる人も誰もいない。

アパートで孤独死して、俺の死体から出る液が下の階の住人の頭にポタッと落ちて、警察に連絡がいき、無縁仏を発見する。

住んでいた部屋は専門業者により清掃される。遺族がいればアパートから遺族に清掃費用の請求がいく。

色んな人に迷惑をかける。

 

もしくは道端で野垂れ死ぬか。にしても死体を処理する人の手間だ。

川にでも流され海の藻屑にでもなったほうがいいか。

 

いずれにしても、孤独な人間の死に際は明るい要素は全くない。