目的なしに勉強するということ
俺にはこれができなかった。
学生時代の勉強もいったい何の役に立つんだって納得ができなかった。
だからやりたくなかった。納得が行かなかったから。
なんで勉強をするのかその理由が明確であればまだやる気はでたかもしれない。
例えば会社に入るとする。
そうするとその会社の中で歯車としてやっていくためには必然的に勉強しなければならなくなる。
こういう勉強なら頑張れる気がするというか、頑張らないと取り残されて窓際に追いやられるなり無言でやめろやめろオーラで刺され、居場所はなくなりやめてしまうだろう。
勉強することで将来につながる。だから勉強をする。
勉強をすれば仕事ができる。仕事ができるようになると周りから認められる。
そうすると、出世とかする。
出世すると給与があがる。
金稼ぎの効率がアップする。
それがインセンティブとなってますます勉強する。働く。
一方で穿った見方。
いいように使われている。
まさに企業戦士。奴隷の鏡。
しかし、俺の性格と照らし合わせてこの生き方が一番性にあっている気がする。
自分で何かを生み出すことができないから。
他人の考えた計画を実行する歯車の1つが一番性にあっているんだろう。
ビルをつくるのに一級建築士さんがまず設計をして、その図面通りに工事現場で働く人が完成させる。
俺は一級建築士にはなれない器だった。
漫画家をちらっと目指そうとしていた時があったが、原作が書けなくて諦めた。そもそも、昔は漫画関係にいくとしても、アシスタントだった。アシスタントなら作品の批判もされないし、ただ指定された背景なりを書いていればいい。傷つかなくてすむ。
チキン野郎かと思われるだろうが、俺は昔からこういう人間で、おそらくこれからも変わらないだろう。変わろうとすれば、無理が祟り、精神は引き裂かれ、病気になってしまうだろう。
転売で一国一城の主を気取っていたものの、その城はボロアパートもいいところだった。みんな、お城で働いて城下町に俺のボロアパートよりも立派な家を立てる。
しかも転売に当たって勉強すらしなかった。
マーケティングとかの手法とか一切なし、在庫があるだけ全部出品して、商品説明もテンプレ通りの3行程のもの。薄利多売で労の割には見返り少なめ。
ただ習慣化すれば続けるのはそれほど苦でもなかった。作業中にニコ動とかユーチューブ見放題だったし。ある意味ぬるま湯だった。だから、薄利多売を脱出するために頭を使わなかった。その必要がなかったから。薄利多売で貯金が増えちゃったから。
しかし、もうそれもおしまいだ。
もしかしたら、一生その生活を続けて死んでいくのかと思っていたが、幸か不幸かそうはなりそうにない。
この10年勉強する必要がなかった。
でもこれからはそうもいっていられない。時間もない。
今は図書館で目的なしに勉強している。
進むべき道がわからないからだ。そのため進むべき道の勉強ができないでいる。
だから、色々な本に手をつけて、刺激をあたえている。
なにかのヒントが生まれることを期待して。
無駄に終わるかもしれないが、家でテレビ、ゲーム、ネット、暴飲暴食、自慰行為に明け暮れるよりも全然マシだろう。
ここでも何もしないよりはマシ理論である。