以前こんな記事を書いた。
そして今日、葛飾にいた猫に癒やされた。
いや、マジでいいわ、猫ちゃん。
ワンちゃんも。
あと、自分のペットじゃなく、他人のペットや野良だと世話しなくてもいい。
うちの子は150万くらいかかったかなぁ。
晩年の入院費で相当持ってかれた。
保険は大事だよ~。
道で偶然出会う人懐っこい猫ちゃんというのは一定数いるもので、それらを愛でてる瞬間は実に癒やされる。
枯れた精神に水が注がれる。
あとちょっと前に高樹町でコンビニの前につながれていたマルチーズっぽいワンちゃん。
あの子も昨日のことのように思い出すことができる。
きっと飼い主さんが買い物してて寂しかったんだろうね。
俺がしゃがんで写真を撮ろうとしたら、うえ~ん!って感じで懐に飛び込んできて、それはもう激しかった。
自分が飼っていた犬でもめったにこんなことしないのにと思った。
うちの犬は家族と一線を引いていて、過剰な愛情表現を避ける傾向にあった。
それでも、甘えたいときは甘えるし、気乗りしない時は、一人でふて寝をする。
犬のくせに随分オンオフを使い分けるなぁ~と犬じゃなくまるで人間みたいな一面があった。
だから、THE犬!という感じは生活をともにしていてあまり思わなかった。
親ばかかもしれんが、聡明で賢い子だった。
失ってからまもないころは過去形で語るのは辛かったけど、今では普通に昔のことのようにブログで書けている。
おそらく、人と話す時も同じように話せるだろう。
新しいペットを飼わなくても時間はかかるが、月日の流れと共にペットロスは解消されていった。
当初は道を歩いていると隣にいるような気配も感じたが、それも今は消えた。
よく、子供が生まれると、子供嫌いの人が別人になるとか言うけれど、俺はそのペットバージョン。
飼う前はペットなんていらね~よと思っていたけど、実際にペットを飼ってみると、猛烈にかわいいし、単なるペットじゃなくなる。家族の一員になるのに時間はいらなかった。
家族だったもんだから、死んだときは三日三晩泣き明かし、感情失禁で白昼突然涙が溢れ出すという感覚を初めて味わった。まちがいなく今まで生きてきて一番悲しい出来事だった。
でもそれはある意味幸せなのかもしれない。世の中には若くしてもっと辛い思いをした人もいるだろうから。
また、うちの子を寂しい思いをさほどさせずに育てることができて、天寿を全うさせることができたのも家族がいなかったら絶対にできなかった。
その点で家族には猛烈に感謝している。
そしてその家族に対する感謝はペットなくしては成り立たないものだ。
ペットは心がバラバラになっていた家族を1つにした。
誇張でも何でもなく事実その通りなのだ。
楔の役割を果たしていたうちの子には随分負担をかけてしまったなぁ。
もっと受けた愛情を返すことはできたはずだった。
後悔は山のようにある。
散歩大好きな子だったから、もっといろんなところに散歩に連れて行って、いろんな景色を見せてあげればよかったなぁとか。
あのときはうっかり足を踏んづけちゃってごめんなぁとか、引きこもり対人恐怖症で入院してる病院に面会に行けず寂しい思いをさせてすまんとか。
いずれにせよ、家族がいなければ育てることはできなかった。
感謝している。
しかし俺はひねくれものなので、「ことペットに関しては」家族に感謝しているものの、俺がこうなった一翼を担っている家族という側面では、恨みがましく思っている。