足りない環境に身を置かなければダメ人間に磨きがかかってしまう・・・。
最近つくづくそう思う。
時間が立てば勝手に料理が出てきて、テレビ見放題、菓子が戸棚に常備されていていつでもパクつける。
俺の場合、全てそれを受け入れる。
最初は遠慮していたが、日がたつにつれてお構いなしになりつつある。
だから、流されるがまま出された飯を食べ、お菓子は食べるし(自分でも買って補充はする)、テレビもつけっぱなしでながら見状態。
そういえば俺は何度もRPGをやっているが、厳格な縛りプレイというものをしたことがない。縛りプレイ自体はしたことがあるが、ぬるいにも程があるオプション的なプレイ方法。頭も使わないし、縛りというよりは何度もやったゲームを異なる視点でプレイするというだけなので、ぬるま湯プレイに相当する。
RTAとかファミ通に投稿するぜ!みたいな連中はそれはそれは厳しい環境に身を置いて自分の頭で最短ルートを計画して、RTAプロジェクトみたいなガチで縛りプレイに当たるみたいなことをするんだろうが、俺はとにかくイージープレイで気持ちよくプレイすることが目的なので、あえて縛ろうとはしない。
それが、自分の生活にも表れていて、ゲーム自体が簡単でも意図的に難しくしようとはしないことと同様に、生活水準が上がればおそらく湯水の如く使っちゃうかもしれない。実際にそこまでウハウハ状態になったことがないのでわからないが、今の生活を省みてそう思う。給与が上がれば生活水準上げてしまう普通の人間に違いない。
ドケチ生活を送っているのは、新たな収入が絶たれているからであり、収入が復活すれば、財布の紐が緩んでしまうんだと思う。
生活水準の高低で人生イージーモードとか、ハードモードとかいうけれど、
しかし、俺は今何モードなんだろう。
預金暮らしでちびちび生活している。
自由気ままと言えば聞こえがいいがジリ貧。しかし働かなくても預金を崩すことで今のところ生存している。
将来ハードモードが予定されている つかの間のイージーモードと言った感じか。
でも皆いつイージーモードからハードモードに転落するか知れたもんじゃない。
ハードモードからイージーモードへ移行することも才能や運がない奴は日々の努力や積み重ねなしじゃたどり着けないんじゃないだろうか。社会を知らないからそこんとこわからん。
しかし人生ハードかイージーかなんてある意味精神的なものかもしれない。
低所得でも交友関係に恵まれている人は経済的には厳しいながらも、幸福度は高いだろうし、その逆も然りだ。
人との関わりあいが病的に苦手な俺はとりあえず経済的な物差しでしか幸福度を測れない。そして収入も未来もない身としては不幸を感じざる負えないのである。