というか俺って結構変わった境遇のもとに生活しているような気がする。
一人暮らし。無職。
10年間家に1万円すら入れずにぬくぬくとヤフオクで稼いだお金で今生活している。
つまり貯金切り崩し生活。日々ライフ(預金)が削られて精神的にキツイ。
一人寂しく生活。
一方典型的なニート。
家族と同居。無職。
家族と一緒に暮らしているためお金の心配はいらない。(いつかは親も死ぬけど)
一人じゃなく誰か家にいる。
そうなんだ。
家族と同居しているニートは少なからず家族という自分以外の人間との接触がある。
しかも繕うこともなくザックバランに抵抗なく喋れる人間がいる。
つまりは家族がいる。ニートのいる家庭の空気はあまりよろしくなさそうだが、うざいと思いつつも俺よりは寂しさを感じることもないだろう。
昔から他人と関わるのが大の苦手でそれを避けていたらこんなになっちまった。
家族と同居で友達なしが学生を終えてから10年。
友達がどうのこうのすら興味がなかった。
しかし、家族と別居して一人暮らしすることになってから1年以上経ってくるとヤバイんじゃないかと思うようになってきた。
何がヤバイのか、なんでヤバイのか自分でもよくわからないが、とにかくヤバイ気がしつつ生活をしている。
外に出て街に出て周りの人間と自分を照らしあわさざる終えない環境に自分を自ら置きはじめてからだろう。
つまり他人と比較してヤバイんじゃないかと思っている。やっと社会不適合者の自覚を持ったということでもあるかもしれない。今までは家の中で全部完結していたから、社会不適合者であることを忘れていた。しかし、外に出てみると忘れかけていた社会不適合者である自分を思い出させてくれた。
とりあえず格好からとリーマンの形に自分をしてエア出勤ということについて考えてみたけれど、その行為について意味があるとは思えなかった。
ひきこもりから外にでて散歩をしてもそれだけでは新たな誰かとの邂逅はなかったように、形を変えて同じ行為(散歩)をしてもおそらく同じ結果に終わるだろう。
これも逃げなのはわかっている。なぜこうも遠回りするのだろう。他人とのかかわり合いから逃げ続けてきた人生だった。どこかで何とかしないといけないのはわかってる。わかってるからこそ焦っているが、人に興味がない。だから積極的になれない。だから動かない。動く必要がないと考えてしまう。そして停滞する。だから今までと同じ。そして焦る。→何とかしないといけないと思う。このループ。時間を捨て続けるのもアレなんで本だけは読んでいる。これも逃げ。人に傷つけられるのが怖いから逃げている。豆腐メンタルもいいとこだ。