外を歩いてみたが、おや?と思う姿の人はそうはいない。
いい意味でぱっとしない顔ばかり。
さしたる特徴のない無難でいじりどころのないフェイス。
突出した弱点も突出した優れた点もない顔面偏差値50の近辺の人だらけに思える。
クリーチャー感とは無縁なかっこいいと思うイケメンリーマンや大学生も見た。
身長184くらいでスタイルがよくてカッコいいいかにもモテそうな新入社員が同期と仲良く談笑している光景をみて少し欝になる。明らかに周りから浮いてかっこよかった。
こういう崩壊寸前の精神状態の時に限ってそういう奴らが俺の目の前に現れるのは何故なんだろう。
でもそういう奴は一握りだった。体感で5%くらいか。
繁華街になるとその率は上昇する。
いずれにせよクリーチャー感を感じる人は全然いない。
突出したブサイクって実は少ないのかもしれない。
でも昨日2m級巨人がいてこれはさすがに目を疑った。
昔電車で大学生たちが戯れていて、一人だけデカい奴がいた。
そいつは友達との会話の中で自分の身長を188cmと言っていて、190はこれくらいなんだなぁと思ったものだが、それより頭一つくらい上の位置に頭がある気がした。
小人症のおじさんとかもたまに見る。
こういう人は凄い目立つだろう。
それに比べたら俺はまだマシなのかもしれない。
やっぱり自分よりエクストリームな容姿レベルの人間を出汁にして精神の回復をはかるという手段を取らざる終えないのか。
自分でも嫌気が指す。
上には上がいるの逆で下には下がいるという発想。
こんな次元でできれば考えたくはない。
もし自分が容姿的に全面において最下層だった場合にどうすればいいかわからないし、
下卑た考え方で気持ちの良いものではない。
内面。
内面に目を向ける。
しかし外を歩いているだけでは外面しか見えない。
とどのつまり、容姿や態度から他人の内面を勝手に推察する。
人間と関わらないと人の内面と接する機会がない。
逆に自分の内面にも目を向けてもらえない。
俺が外を歩いて他人に勝手な印象を持つように、俺も外面でしか判定されない。
こっけいな外面でしか。
孤独で社会的に誰とも接点がない俺の世界では、それが全て。
もしも、俺の内面を見せつけて受け入れてくれる人間が一人でもいたら、それが全てじゃなくなる。
そういう人間を作れたら、暗雲が立ち込めているどんよりとした精神の雲間から光が差し込むんだろうか。
それともそれさえも遮って自分の殻に再び閉じこもるのか。
結局は自分で自分に打ち克つしかないんだろう。
周りの助力は薬のようなものなんだろう。
風邪は結局は自分の免疫力で治るように。
だから、多分そういう薬の役目を果たす人が一人でもいたら孤独の最中にいるよりも楽になれることは想像に難くない。