クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2018年05月03日クソ散歩

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風が強く、晴れたり曇ったりする天気。

錦糸町まで散歩。

家を出て歩きはじめはいつものように機嫌が悪い。

 

安い店で昼間りんごを補充。

ヨドバシにも寄る。

 

別スーパーにより帰宅。

 

以上午前中。

 

午後、近所ぶらぶら。

 

ドストさんの『罪と罰』を今日も読みはじめた。

上巻が終わった。

上巻だけで500ページ以上あった。

 

 

図書館に『カラマーゾフの兄弟』もあったけど、5冊くらいに分かれていた。

しかし1巻だけなかった。これも手を出したい。

 

そのうちプルーストの『失われた時を求めて』とかめっちゃ長いやつも読んでみたい。

 

 

ストーリーは全然理解していないけど、上巻の最後でなんか目撃者見たいな奴が影で、俺は見たぞーと言っていた。

 

 

下巻の裏表紙を見ると、追い詰められてるらしい。

一応、読んでいるのに全然わからないw

 

読書ってなんだろう。

 

活字を追う作業になっちゃってる。

 

読むってなんだ?

 

文字を追うだけじゃ頭に全然入ってこねー。

 

 

ところで今やってる(只今、休載期間)ハンターハンターの王位継承編。

あれが全部活字だったら、そりゃもう地獄だろう。

ただでさえ複雑なのに。

俺には漫画が性にあっているのかもしれない。

 

読書の醍醐味の一部に登場人物の容姿を好き勝手にイメージできる(ドット絵時代のドラクエのような)メリットがあるが、俺にとってはデメリット。

 

顔を漫画の登場人物紹介みたいにどっかに描いてほしい。

でもそうすると小説という媒体でしかできないミスリードとかに制約がかかるか。

 

 

小説家の東野圭吾は、読書する時に映画のように頭で映像のように見ているらしく、思い出す時もあのシーンねと絵的にとらえているらしい。

 

よくもまぁそんな真似ができるもんだ。

逆に言うと俺が映画の内容を綺麗さっぱり忘れるのも映像として記憶していないからなんじゃないかと思った。

 

歩く時に精神的により歩きやすくなったが、正面を見据えて歩くというのは特別な感情の時にしか未だにできない。

今度街を歩いている人たちの視線に注目して歩いてみようかしら。

 

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