人間はそこでしかできないものをせずにはいられない生き物なのかもしれない。
旅行先でマックを食う人なんてそんなにいないだろう。その土地の有名所をピックアップして観光なり食べ歩きなぞをするだろう。
俺は旅行になんぞ興味はないが、家と図書館でそのことを感じる。
家では制約なしであらゆることができる。
ひとり暮らしなら家族の煩わしさもない。
だから図書館でできないことをやってしまう。
それはながら勉強、ながら作業。
図書館でもできないことはないが、家よりセッティングに時間手間がかかるし、ひと目もあるし、音系はイヤホンが関の山。堂々とスピーカーでリラックスして聞くこともできやしない。
できることが少なくなる、またはできることは一応やれることはできるが、そこにハードルがある。
だから図書館では同時にやれることはミニマムになる。
このことがやることをひとつにしてそれに集中することを可能にする。
家にいると、同時にやれることが増える。
自由が俺をだめにしている。
わかってはいる。
作業用のニコ生やYTLのタイムシフトを流しながら勉強や作業をすることは作業効率を低下させている。
マルチタスクの弊害も身をもって知っている。
ゲームとマルチタスクで俺は受験に失敗してきた。受験どころか一歩間違ったら留年さえしていた。
でもせずにはいられない。
そういう環境があるなら利用せずには居られない。
ああ、だめだ。
家で勉強しようと思ったら縛りプレイしなきゃいけないのに。
だから家にある誘惑になるものを窓から投げ捨てるという勉強論は正解だと思う。
なるべく図書館のような状況に身を置くのだ。
行き詰まったとき、息抜きという名目で逃げ、気付けば手段と目的が逆になっている。動画鑑賞がメインになって勉強が2番手に来ている。そして、勉強はやらなくなる。
今で言えば、まだ観てない加藤純一と横山緑の動画を見ずにはいられない。
俺は縛りプレイができないから死ぬまでこういうことなんだろう。
前に加藤純一の放送で日本一の高校野球部の話があった。
そこはケータイやテレビを取り上げられ、山ごもりさせられ、家族との電話は月に1回みたいな刑務所と形容される野球部だった。
やっぱりそれくらいしないと天下とれないんだろうか。
ともかく俺がまともになるには人の3倍勉強しなきゃいけないからこんなたらたらやってる場合じゃないんだがな。
ああ、頭ではわかっている。
けれども観ずにはいられない。