クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2018年06月12日クソ散歩

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nlab.itmedia.co.jp↑これ面白いなぁ。分母が0や0で割るのがだめな理由がなんとなくわかった気がする。

 

今日は一日何もせんかった。

ひたすら加藤純一のDQMJ2pro(ドラクエモンスターズジョーカー2プロフェッショナル)を見ていた。

終始レベル上げをしているようなゲーム実況で基本つまらない。

 

【ch】うんこちゃん『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 Pro』part7(終)【2017/06/03】 - YouTube

 

よって作業用BGMに最適。

つまらないゲーム実況は作業用BGMとしての価値は高い。面白いゲーム実況だと作業妨害BGMになってしまう。

とはいえ、今日は作業すらしなかった。

 

今日こそ浅草へと思ったけれどやめた。

錦糸町のヨドやアルカに寄って東陽町まで行ってスーパーによって帰宅。

 

親と離れて暮らすようになってもう少しで2年になる。

その間純粋無職で店員以外との接触なし。

寂しいと思っていた生活も開き直ってきた感がある。

今は彼女や友達がほしいとは思わなくなっている。(あくまで今は。人恋しい時期と今のような状態の時期を交互に繰り返す)

誰からも連絡が来ない。

これは寂しいと感じる人が大半だと思うけれど、俺はメリットとして捉えつつある。

固定電話を廃止してからマジで誰からも干渉されなくなった。

以前は電話がなる度にビクビクしていた(電話恐怖症)ものだがそのストレスから解放された。

誰からも相手にされないということは言い換えれば誰からも邪魔もされないということ。

今まではみんな人と楽しそうにやってるのに俺だけひとりぼっちとか思っていたけど、考え方を逆にしてみればそこにメリットを見出すことができる。

1人を楽しんでいる時に入る横槍がない。そして俺は1人で楽しむことをこよなく愛す。

家族と生活していたときも家族を食い扶持くらいにしか思っていなかった。うざいけど飯や宿のために我慢だくらいに思っていた。

離れたあとも家族のいない寂しさよりも1人で好き勝手できる喜びのほうが勝っていた。

失って初めて人はそのものの価値に気づくとかいうけれど、親と離れて暮らして家族の良さがわかるということは特になかったと思う。

つくづく1人ボッチが向いているんだろうと思った。

寂しいという気持ちも引きこもりから街に繰り出して周りの人間を見ている時に芽生えた感情だ。

だから繁華街に行かなければこんな感情が芽生えることはなく、1人の生活を何の疑問も抱かずに送っていたことだろう。

 

でもたまに都会に繰り出して目の保養がてらイケメンを見に行く。

という密かな楽しみもできた。

美女や可愛い子もドキッとはするが、反面以前と比べて妙に落ち着いた目線で見ることができる。

あと最近デカパイ女を見てもああでかいな・・・くらいで性的には落ち着いている自分がいる。