とうとう歌丸さんが亡くなられた。
きっと家族や弟子、落語関係のお仲間さんたちに看取られたんだろう。
そして悲しんでいるだろう。
俺が死んだ時に涙してくれる人間が誰もいない。
今のままじゃ確定するこの事実。
それどころか、ザマァ見ろ、やっと死んだか、俺の死をせせら笑う人間すらいない。
無関心。
そこにいたのか俺は。
この世にいたのか俺は。
俺が死ぬ時俺を知る人間がいなかったら、
生きていたということになるのか?
死んだことにも気づかれず、生きていたことも知られずに誰からも知られぬままこの世から消えていく。
それは怖いことなのか。
そんなもんなのか。
歌丸さんのように俺が死んだ時に俺の死を悼んでもらいたいのか。
今はよくわからない。
死が遠いから。
でも死が近づく年齢になってから気づいたら、死ぬほど悔しいのだろうか
生きたいけど生きられない。
なのに俺の死、一世一代の俺が主役の大イベントに参加する人が誰一人いない。
俺はきっと俺が大好きだ。
他人が嫌いなその分、好きな感情は自分に回す。
自分大好き。
自分さえ助かればいい。
他人のことなんてどうでもいい。
これが俺だ。
そんな俺が死んじゃうんだぞ。
それを知る人間が誰もいないなんて。
悔しくなかろうか。
俺の死を知ってもらいたい。
そんなふうに思うんだろうか。
漠然とそんなことを考えた。
俺自分大好きだと勢いで書いてみたけど、そうなんだろうか。
頼れるのは結局自分だけというのは間違いだろうか。