クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

古びたスポンジ

 


古びたもの
すり減ったもの
汚れたもの


それらの新しいものを買ったとする。

 

普通の人は新しいものを買ったら古いものは捨てる。

 

ただ、俺は思い入れという余計なもののために捨てられないことがある。
もともと捨てられない人なのだ。

 

思い入れといったら優しいとかいう成分も含まれてそうだが、結局の所、このクソみたいな思い入れは未来に進むための贅肉にすぎないのだ。
ノスタルジーもほどほどにしないとゴミ屋敷になって、そこが墓場になる。どんな大事な品でも墓場に持っていけない。
最近は、すてられない俺だけど、「墓場には持っていけない」「勢い」とかで思い出の品を処分できりうようになりつつある。(思い出のランクの低いものだけだけど)


そんなことをすり減ったスポンジを新品に取り替えたときに思った。

 

新品に取り替えて、古いへたったスポンジを捨てた時、気分も前に進んだ気がした。

 

もし、新しいスポンジと古いスポンジが同じ場所に置かれていたら新品は買ってきたけど進んでいる気がしない。

 

得たら捨てるという循環。


同じところに、新しいものと古いものがあったら、使い古されてしなびた古いものに存在価値はない。

 

今ふと思ったのが、若者と老人。
この国は老人がいっぱいいる。
少子化で若者は少なくなっている。

古いスポンジが増え、新しいスポンジが減っていく。

 

生産力も低い古びたスポンジ。
かといってスポンジのようにぽいっと捨てて、新しいスポンジに取り替えるということはできない。


高齢化社会でますます古いスポンジが溜まっていく。
こんなんでこの国に未来を進めるのか。

 

存在価値のない微妙に古めのスポンジが心配することでもないが。