つくづく、身の回りから余計なものを排除するということの大事さを最近思う。
勉強する時に効果的な方法として、部屋から誘惑となるもの(テレビ、スマホ、ゲーム、パソコンとか)を排除するという方法がある。これで司法試験を上位合格した人もいる。
今日図書館に行ったが、ここでもオナ禁が効果てきめんだった。
今日も例によって、図書館で並んで勉強をしてるカップルがいたようだった。
極力周りへの意識を排除して、自分のみに意識を集中するよう意識した。
座ってる席(4人がけ)に女が二人座ったが、顔すら見ていない。
というか今日図書館に入ってから出るまで人の顔は一人も見ていない。
これが図書館で勉強するということだ。
隣に彼女なんて連れているやつに負ける気がしない。
オナ禁がどう効果てきめんだったかというと、女=人間という回路にスイッチが切り替わったためか、女にも意識がいかない。
ちょっと顔みたいけど見られない、ああ、気になる~(要するに雑念)ということがない。
今日俺は図書館で超サイヤ人になってた。
これもまた、エロを身の回りから排除したことによる恩恵である。
思えば、精神的に余計なアクセサリーをじゃらじゃら下品に身につけていたのかもしれない。
今日の俺はすごいシンプルだった。
人は見ない。
女は人。
よって女も見ない。
それは道歩いてるときでもそう。
一人も顔を拝んでいない。
なるべく意識を小さく小さく、自分の周りのみに集中して歩いていた。
お前なんでそんな修行僧みたいなことしてるんだ?
と思う人もいるかも知れないが、これが楽だからである。
こういうのが性に合っている。ウェーイ!!とか苦痛。
自分の周りに意識を張ることと、女を肉として見ないことにより、新しい脳の領域が拓けた感すらしてくる。
オナ猿から禁欲する度に、自分が高潔な存在になっていくのを感じる。