クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

俺はメンヘラではないと思う

 

このブログの読者の方の肩書でよくお見受けするのはメンヘラという言葉。

メンヘラを自称している人が多い気がする。

 

類は友を呼ぶということわざがあるけど、俺ってメンヘラなのか?と思った。

 

上と比較してメンヘラになることもあるけど、それもすぐに忘れるし、比較しないように意識すればメンヘラということはない。


俺がボッチで愚痴ばっかほざいているもんだから、メンヘラのカテゴリーに入れられているのかもしれないが、別にボッチでも一人でも楽しいことはある。
俺の場合、ネットで贔屓の生主の動画を見ているだけで満足できる。一日中、一年中そうやって過ごしている。ここ5年くらい。普通に楽しんでいた。

疑問を持ち始めたのは外に出てからで、その頃からこのブログを始めたため、外に対する憧れや執着等の愚痴をこぼしていた(現在進行形)のため、メンヘラ扱いされたのかもしれない。ただ、その原因が上との比較だとわかった今、それを見ないふりしたり別のことを考えたりという小手先のテクニックを使って視界に入らないようにすれば、外にいても比較的平常心でいられるようになった。それにこのブログで心情を愚痴として吐露することにより精神の安定もはかれるため、面白くないこと、イライラしたこと、嫉妬が芽生えた時でも割とネタとして処理できているため、わりと安定していると思う。ブログ書きそのこと自体もストレス解消になるし、基本楽しい。現実逃避と言われればそれまでだが、現実と向き合って壊れるよりマシかなぁと割と金銭的に余裕ある(収入ゼロ、預金わりとある)今はそう思う。

 

一時的にメンヘラになることはあるけれど、常時メンヘラというわけではない。
どうでもいいことだが、俺はよく両親に泣いて落ち込むけど、すぐにケロッとしてるお前はすごいみたいなことを言われたことがある。


自分のことをメンヘラと言っているひとがいる中、無職で今まで積み上げてきたものもこれから未来もなんもない人生終わってるやつは普通メンヘラと扱われるのかもしれないけど、一度でも自分のことをガチもんのメンヘラと思ったことはないんじゃないかなぁと思う。

 

メンヘラに一番近づいた時はおそらく今年4月のコンプレックスが気になって外に出られなくなった時だろう。近づいたんじゃなくて確かにあのときは、メンヘラだった。
あの感情が延々とつづくのが常時メンヘラの人たちなんだろうか。そう考えると日常生活を送るのに支障をきたすのもわかる気がする。

 

ダウナー系というわけでもない。むしろ動画を見て楽しんでるときはアッパー系でガハハハ!!と明るく太陽のような笑みで爆笑している。
自分ではネガティブとポジティブの均整が割と取れている方だと思っていて、それ故、落ち込みを引きづらないんだと思うが、人と絡むことが苦手で、腹の中も見せないで、口下手コミュ障なのも相まって他人からはメンヘラと思われていたかもしれない。だが、自分では自分のことを中庸、普通だと思っている。


俺の普通と大勢の人間の普通が大きく乖離しているため、俺は普通に生きていても、親から普通になってと懇願されたりするんだろう。俺からしてみたら???だ。
でもその乖離を埋める努力をしたり、切り替えスイッチを自分に取り付けるのが大人なのかもしれない。

なんとなくダウナーとかアッパーって使ってみたけど、これって薬物依存の用語なんだな。