先日吉澤ひとみ容疑者がひき逃げで逮捕された。
その瞬間を捉えたドラレコの映像がYoutubeにアップされていた。
ひき逃げは勿論叩かれてしかるべきだが、被害者を助けようともせずそそくさとその場を後にした周りの人たちが現在叩かれているようだ。
確実に言えることは、俺もその叩かれている傍観者と同じ性質の人間ということだ。
事実、この日実際に倒れている人を見捨てた。
池袋を歩いている時に、前に足がもつれてヨロヨロ壁に手をときをつきながら歩いている60歳くらいの男性がいた。やがて壁から離れ蛇行し出し、木が生えているの周りの低いレールに足を引っ掛けて土の上に尻もちを着いて仰向けで倒れたきり動かなくなってしまった。
この時はすぐに仕事帰りの男性が2人駆けつけてすぐに救急車を呼んだようだった。
でもこのときのことはこうやって書いてるようにしこりとして残っている。
この時思ったことは、
・うわ~めんどくせぇ~
・格安SIM音声プランで119番はまともにかけられるのか?
・かけられたとして、池袋なんて土地勘ないし場所の住所とかどうやって伝えるんだろう?スマホのGPSで発信元を特定したりできんのかなぁ?そもそも(信じられないことだが)俺はケータイ電話から電話をかけたことが一度もないぞ、どうやってやるんだ。
・こんな自分には荷が重すぎる。自分が引き受けるより社会生活に長けている人が引き受けたほうがスムーズに事が運ぶ。仕方がない。諦めよう。誰かにバトンを渡したい。
・お、駆け寄っていく人がいるじゃないか。ふ~助かったぁ・・・。
・罪悪感と自分の不甲斐なさに浸る。
こんな感じだった。
不思議と完全無関心であったり、時間の無駄だな・・・と割り切って立ち去るということはなかった。
こんな俺でも(行動には移さなかったが)赤の他人を助けたいという気持ちはいっちょまえにあるらしい。
もしかしたら人を助けることは人間として当たり前のことなのかもしれない。
でも四の五の言い訳をこしらえて助けなかったことには変わりない。
そこにはやっぱり「自分とは関係がない」という要素が大きく働いているんだと思う。
こんなことがあったから、吉澤容疑者の件で助けに行かなかった人たちを叩く気が置きない。(被害者すぐに起き上がったから自分でなんとかできると周りは判断したんだと思うし)
でも、かっこ悪いわな。
助けた人がめっちゃかっこよく見えた。