昨日、アウトプットしかしなかった。
アウトプットするためにインプットし直しはしたが。
はっきり一向に進まないアウトプットに時間ばかり食われて、正直損をしたような気分だった。
だが結果が出てそれはすべて帳消しに。
なんか一発当てたときのような達成感が。(そんなことないからあくまで想像だが)
結果が出たからよかったものの結果が出ず、無念の敗走をしていたら損が確定する。
今までそんな生活だったような気がする。
時間を無駄にしまいとインプット過多になるとその傾向が不思議と強くなる。
いっぱい時間使って頭に大量の知識を入れているんだから、時間を無駄にしていないぞという感覚。
でもそれは思い込みに過ぎず、実際にどれだけ頭に入ったかを計測したら、案外雀の涙ほどだったということも多々。
人間はインプットした分だけ反映されるコンピューターのようにはできていない。
むしろ忘れるのがデフォ。PCでいったら保存したデータが時間経過で消えていき、おそもそもちゃんと保存されたかも疑わしい。
穴の空いた水袋みたいなもんだから、記憶力ではPCに勝てない。ならそういうもんはPCにまかせて、人間にしかできないことをやったほうがマシなんじゃないかという気もしてくる。
この度ようやくまともなアウトプットをした気がする。
昨日は頭を使って今までの知識の取捨選択、試行錯誤を経て1からプログラムを組み立ててみた。確かにまる1日掛かった。しかし、これまで1ヶ月ただ受動的にインプットに興じていた時間よりも遥かに濃密だった。
頭の中に完全に抹消されずに残っていた知識(これが実際に使える手持ちの知識)を利用する。
細かいところはもちろん忘れているが、その忘れた情報を取り戻すためのフックのようなものが残されている。
細々とした知識は忘れても「核」のようなものは残っていて、それが、どの道具(最適な構文、モジュール)を使えばいいかという取捨選択を可能にする。
これがないと取捨選択まで至らず、何をすれば検討が全くつかない。
2つの異なる基本を最適な形に組み合わせる。
そのままではうまくくっつかないため加工する必要があり、そこに知恵を絞る必要がある。
(これがなかなかできずに10時間消費)
これが応用するということのひとつの形だと思う。
そういえばコンピュータって応用できるのかな。
それが今話題の機械学習ってやつなのかもしれない。
ただ一方で地味な基礎的なインプットがなかったらこの結果は得られなかっただろう。
ないものは絞れない。この1,2ヶ月は無駄じゃなかったのかもしれない。
ただ、英語をやらなかったらもっと短時間でできたろうに。