この動画の2時間くらいのところに出てくるスナック菓子が気になる。
その名は、「エスニカン」。
ニュースリリース 『ポテトチップス「エスニカン」「グリルビーフ」「お好み焼きチップス」』 | カルビー株式会社
彼はドン・キホーテで見つけたと言っていた。
たまに数十年の時を経て復刻されるお菓子とかあるけど、よく再現できるなぁと思う。
ところで、人間の記憶は曖昧で自分で勝手に改竄されるのは日常茶飯事。
自分の記憶ほど信用出来ないものはないとまで言われている。
でも、味覚ってどうなんだろうね。
完璧に昔食べた「エスニカン」の味じゃないのに、パッケージとかで記憶の帳尻合わせが行われ、ああ昔食べたあの味だ・・・と錯覚を起こすとかありそうなものだが。
昔のエスニカンの味を正確に記憶している人なんているんだろうか。
まぁ、エスニカンのレシピさえあればそれは函数みたいなもんなんで、今も昔も同じものが出てくるのは当然な気もするけど。
あとは嗅覚。
昔嗅いだ何かの匂い。
十数年振りに突然その何かの匂いを偶然嗅ぐと昔を思い出すことがある。
ただ、具体的なエピソードは思い出すことはあまりなく、大抵は「どこかでこの匂い嗅いだことがある・・・」という漠然とした中身のない記憶が想起される。
たとえ昔のエスニカンの味じゃなくても、そういう香料の匂いとか懐かしのパッケージの視覚的効果で昔エスニカンを食べたことがある人にとっては「昔懐かしのエスニカン」になるんだろう。
そう思い込んで食べたほうが幸せだし、そうなるように自動的に脳が都合の良い解釈を施すんじゃなかろうか。記憶の改竄のように。
これは本当に昔食べたあの懐かしのエスニカンなんだろうか?
その疑念の中食べたところで普通に食べるよりもおいしくない。
食べ比べはできないためその人がその答えを判別できる機会は永遠に訪れない。
仮に30年前の未開封のエスニカンが現代に残存していたとしても、コンディションが違うため単純比較はできない。
厳然たる真実よりも自分が気持ちよくなれるように改竄処理を施し済みの記憶のほうが重要という面もありそうだ。そういう処理を施して脳に保存したほうが幸せだ。たとえまがい物だった場合でも。
そういやポテトチップなんてもう何年も食べていない。
近々、「エスニカン」を探す旅に出ようかしら。
亀戸のドンキにあるとよいのだが。