なぜ年末に大掃除をするのか?
俺は別にしない。
ただ、そういう風潮はある。
年末の大掃除と言えば仕事、家庭問わず1年のほこりを払うという題目でやらない世界はないというくらいの絶対的存在。
俺は仕事したことないんで家だけ。
俺の気分が乗らないのに「こういうもんだから」という理由で家族総出で大掃除をおっぱじめる。それに巻き込まれる。
俺のタイミングがあるんだと思っていても、却下されて渋々したがっていた子供の頃。成長してわがままを通すようになり家族に見捨てられる。
俺は個人主義で協調性のない人間である。故にぼっちであり、それもそれで悪くないなと現在は思っている。
そういう人間はネットの記事を読んだりはてなブログを読んだり、Youtubeを見るのはこの上ない幸せだということも気づいてきた。
なぜ気づいてきたのかというと、「ないものねだりをやめた」からというのがあるかもしれない。「一般の幸せ」を求めることをやめたから。友人とか彼女とか嫁とか子育てとかどれもこれも対人要素がある。ぼっちとは相容れないからそれらを放棄したら毎日ぐっすり眠れるようになった。
上ばっか見ると、現状いかに恵まれているかという着眼点が疎かになる。
衣食住満足でネットが見られるというだけでよく考えたら儲け物だ。
他の人と違ってぼっち歴が長く、内向的な俺はネットがあればそれだけで幸せなのである。
それにしても毎日いくらネットしてもしきれることはない。
興味や好奇心は人並みにある。一般の人より時間がある俺はいくらでもネットできる。
しかし、もどかしいことに日々新しい情報は生まれる上、これまでの情報もとてもじゃないけど消化しきれない。
そして情報に忙殺されてるうちにあっという間に日が暮れている。
最近は冬だから日の暮れるのも早く、「え?もう終わり?」となる。無職で他の人より自由に使える時間がいっぱいあるというのに。
ほんと世の中の働いている人たちってやばい。
仕事で人生の時間の大部分が食われる上に、人付き合いもある。
いったいどうやって時間を捻出しているのか?
仕事が好きな業務とかじゃない人は信じられない。雀の涙ほどしか可処分時間が残らないじゃないか!
ということで、俺は貯金が尽きたら生活保護を狙います。
まぁその時が近くなったら生活保護についてネットで調べるだろう。