昨日寝たのが午前2時だった。
今日はひろゆきの雑談聞きながらクラウドワークスをやっていた。
ひとつ割と美味しい案件があった。
HPみて商品の感想書くだけ、150文字程度で50円。しかも即日承認。
依頼主見たら誰でも知っているような大企業だった。実に羽振りがいい。
興味のある「タスク」の仕事(ってかアンケートとか感想とか誰でもできるやつ)を見繕ってやっていたが、時間を搾取されているとかこんな薄給でやる仕事じゃねーよとか思わずにやれた。
それはある意味趣味でやっていたからだと思う。時給換算とかそういうのは考えなかった。逆にそういうことを考えるととたんに損している気分になってくる。こうやってデータとってんだとか、どういう記事を欲しているのかとか見えてきて普通にクラウドワークスを楽しんでいた。でも仕事と思ったらちょーつまらんかっただろう。
自分のHPがある程度軌道にのったという人も依頼主として参加していて、俺が機械学習とかでやろうとしていることを雀の涙ほどの対価で人間にやってもらっている。
しかし、なんか機械学習についてずれた考えを持っているかも知れない。機械学習でできないから人間にやらせているわけであって・・・よく考えてみるとそうかもしれない。自動文章生成とか漠然と企ててたけど、依頼文を見てみると、「感情をこめて」「感情そのままに」「文句でもいいから自分のおもうままの感情をぶつけてください」とか「感情」というキーワードが散見されることに気づく。もう機械にできないから人間様たのんますと言っているようにしか聞こえない。
先ず機械学習の得手不得手からやり直そうか。
結局ダサい格好で錦糸町(繁華街)にいく。
特に目的を定めて行ったわけではなく散歩の延長を繰り返していくうちに自然にそっちのほうに行った。
別どう思われてもいいやと気負いせんかった。
そういえばユニクロにも行った。
しかし、変に目が肥えてしまったため、どうにも「ダサく」見える。いや、これでもコスパはええのよ。そりゃわかってる。でもねぇ・・・という気がする。
これは損だ。上を知ったがために被ってしまった損。
上がってしまった生活水準を元の水準に戻すのが難しいことに通じるものがあるのかもしれない。
スタイルも顔も良いお洒落さんだったら何の問題もないけど、スタイルの悪いおっさんがハイブランドで固めて粋がったとこで「それ意味あるの?」となる・・・現実的にはそうではないのかもしれないけど、そう思ってしまう。基本その考え方は精神衛生上「損」という評価になると思うので、排除したいファクターだ。自分の好きな服、着たい服を買い着ればいい。そんなシンプルな結論を下すのになぜ俺はこんなに回り道をせにゃいかんのか。実に損な思考の持ち主だ。
ひろゆきの雑談でのエピソード「舌を肥やすな。飯がまずくなるぞ」はファッションにも言える?のかもしれない。俺だけか?
以上。
1年前
楽になってきた頃。同じ病室に椎間板ヘルニアのおっさんが来た日だったかな。
このときのエピソードはニヤニヤするもので、温めておこうと後回しにしていたら1年すぎてた。圧倒的にあっという間。