散歩の帰り道に思った。
藍上さんは言っていた。
いろんなものに手を出しては、ひとつひとつが薄いというかなんというか・・・
俺もこの傾向がある。
いろんなものに手を出しては飽きて、忘れた頃にまた戻ってきて・・・というパターンもある。
ひろゆきがちょっと前の放送で話していたイチローと松井の対談の話。
すごい細かいマニアックな野球トークをしていたと話していた。
ダ・ヴィンチやゲーテのようなマルチな天才以外は一つのことすら極められない。
というか本物は極めたなんて決して口にしないだろうし、生涯勉強しているだろう。
それなのに凡人である俺があれこれ手を出してもすべてが薄くなるし、味すらしないだろう。
それで、好きでもないことで稼げそうな分野に進もうとする。
でも好きでもない女を愛せないように(恋愛したことないけど)好きでもない分野を愛することはなかなかに難しい。
最初は好きじゃなくてもやってるうちに好きになっていくパターンもある。
でも俺の場合、プログラミングは未だに好きになれていない。
好きになっていれば、ポケモンGOみたいに一日中プログラミングのことを考えているはずだ。
ポケモンGOは好きなんだろう。現在愛しているんだろう。
一日中ポケモンGOのことを考えている。
しかしポケモンGOを愛してもお金にならない。
アフィサイトやYoutubeでマネタイズする人もいるけど、俺はポケモンGOだけをしていたい。アフィやYoutubeという手段は愛せない。面倒だし手間もかかる。
ポケモンGOの知識だけ無駄に吸収している。
今日ニアバイにフワライドのシルエットが2匹あったんだけど、ああ強風ブーストだから湧きやすいのか、こないだ強風の日フワンテそういえばいたなぁ~とかだれから直接教えられたわけじゃないが、前に得ていた知識と経験を融合して一つの事象の発生を推測している。
こんな応用めいたことプログラミングじゃできない。
でも本当にプログラミングが楽しくてしょうがないということになっていたら、きっと今頃いろんな知識を積極的に吸収してかけた時間分の蓄積と融合させてコードをすらすら書いたり、プログラムを完成させたり、問題を解決したり、面倒なことを自動化しているはずだ。
好きなことで生きていくというのはそう考えるとすごいことだ。ちょっとありえない。
だって仕事ってみんなやりたがらないものだから、その対価としてお金がもらえるわけじゃん。やりたがらないことは嫌いなことだから、嫌いなことで生きていくのが普通なのに。でもそういう人は少数ながら一定の割合で昔からいるだろう。顔がよかったり、頭が良かったり、親が金持ちとか、強運の持ち主だったりとか。
でも俺はそういう特殊な境遇も才能もないわけだから、好きなことで生きていくということを思うことすらおこがましいし、無意味なのかもしれない。もう昇給も出世とも縁がない俺はバイトで働きながらワンチャン狙い続けるというのが最適解だろう。でも実際はバイトして慎ましく暮らせる程度の金額で満足してしまいそう。帰ってきたらのんべんだらりと過ごして寝て家にいるときはそれなりに幸せ・・・とかそういう人生になることは想像に難くない。
そういう生活も悪くない。
けど、マニアックには一生なれないだろう。なる必要などないから。ワンチャンも一生起こらない。でも起こしたいとは思ってる。行動が伴わないだけで。行動を伴わせるためにはやっぱり打算なき愛が必要な気がする。打算(=金が絡む)があると俺はプラモデルを作り続けることができない(ひろゆきのプラモデルとお金の話)。あくまで俺の場合。
お金を愛していてお金儲け大好き!お金儲けが前提として先にあってそのためならどんな手段も愛せます!努力を努力と思わないでできます!というような人はお金に対してマニアックと言えるかもしれない。お金を稼ぐプロセスの構築や発見、工夫、調査等が好き。それを愛している。
前までは、そういうタイプの人間に自分を変えよう、先に言った好きでもないことを好きになるように自分を変えよう、そうすれば好きなことしながら食べていくことも可能なんじゃないか?と身の程知らずに思っていたけど、そういう無理をすること自体が不幸せで性に合って無くて好きじゃない。
そういうことをすることを愛せないということに気づき始めている。
だから、今の自分の、今の性質のままで楽しいと思えることを模索していくことになるだろうか。
でもそうなるとポケモンGO一辺倒になっちゃいそうだ。
それにしてもマニアックじゃない=稼げないという図式はどこで刷り込まれたんだろう。視野がせまいな。