今俺は自分は不幸だなと思っている。
原因はいろいろあれどその中の一つに
娯楽の制約
すべき仕事の不存在
があると思う。
人生がうまく回っていない。
逆に言えば
すべき仕事の存在
娯楽
この2つがあれば人生がまだうまく回っていくような気がする。
俺は10年この2つを手にしてきた。
すべき仕事はあったし、娯楽もあった。
今思い返せばそれなりに幸せだったと思う。
そのなんでもないようなことが。
というかこの2つを同時に行っていた。
娯楽とは
横山緑と加藤純一。
それとゲーム実況。
仕事は引きこもりながらできるヤフオク金稼ぎ。
加藤純一とかを見ながらその仕事をやっていた。
稼げてるから娯楽に対する後ろめたさもない。
むしろ仕事を円滑にする潤滑剤、それが俺の娯楽だった。
諫山創が仕事中にももクロのライブBlue-rayを見たりするような感じ。
実際に加藤純一を聞きながら仕事しているエロ漫画家とかも存在する。
そして今現在、
そういう娯楽を多少なりとも制約している。
それはヤフオクBANされて仕事がなくなってからだ。
今までの娯楽と仕事のルーティンができなくなってからというものの、「役に立つことをしなきゃ」という強迫観念のようなものが生まれでた。
娯楽は「役に立たないこと」。
仕事と絡まることで役に立たないことが役に立つこと(金稼ぎ)を補助するような役割を持っていたのが、仕事なくなり娯楽だけがそこに存在するようになると、それはもう完全に役に立たないものなので、それに触れるたびに楽しみと同時にそれと相反する後ろめたいような気持ちを感じるようになった。(ストレス原因のひとつ)
いや、別に絡めなくても良い。
仕事は仕事として存在していて、別個に娯楽が存在する。
多分リーマンの人たちとかは絡めず、土日に娯楽を割り当てることにより娯楽そのものを楽しんでいる。後ろめたさなしに。
後ろめたさを感じないのはもちろん平日にちゃんとお仕事をしているからだ。
そう考えると、やっぱり娯楽を(役に立たないものを)完全に楽しみ切るには、それに釣り合うくらいの稼ぎが必要なんじゃないかと思った。稼ぎというのは自分の消費とバランスが釣り合うような仕事をすること。このバランスが適当だと、それはそれで娯楽を楽しめなさそうな気がする。
娯楽に対する仕事の割合が低め(サボりすぎ)だと、ちょっと遊びすぎやないか?という疑念が娯楽度を低下させる。逆に娯楽に対する仕事の割合が高め(働きすぎ)だと娯楽というかごろ寝になりそうだ。
まぁ個人差なんだろうけど、いずれにしても、それなりの収入があれば、娯楽を娯楽として楽しめるっぽい。
そうだ。収入。べつに仕事しなくても収入があればいいんだ。と思ったけど、でもそういう収入を生み出す系というのは「安定」からかけ離れている場合が少なくなさそうだ。
となると、「安定」した「収入」が一生保証される(よな)公務員というのが一番娯楽を娯楽として楽しめる職業なんじゃないか?
でも公務員は「自由」がなさそうな気もする。一生保証されるというところにプリズンを感じる。
まぁ、こんなことを並べても俺の人生は何も変わらない。
「安定」なし
「収入」なし
そして、やがて
「自由」なし
になり、
働けば
「収入」あり
になる。
今は、「自由」あり。なだけ。(安定、収入なし)
これからは「収入」あり。なだけ。(自由、安定なし)
「安定」、「収入」、「自由」あり。
この3種の神器が揃った時、娯楽はMAXになりそうな気がする。
長々と失礼しました。