プログラミングの勉強を放棄してもう何ヶ月だろうか。
俺は新しい価値を創造することが嫌らしい。やる気がしない。
すでにある何かをトレースするようなことがまだ好きらしい。
例えば音楽でも、自分で作詞作曲とかするよりも、すでにある名曲のギターをカバーしたりするほうが向いているのかもしれない。
ゲームだってそうだ。自分でゲームを作るよりも、例えば格ゲーの高難度のコンボの精度を向上させたりするほうが向いている。(格ゲーのコンボできたところで役に立たないけど技術に変わりはない。ポケモンGOの勝利数とか捕獲数のような単なる数字ではない)
昔確かにRPGツクールでゲームを作ろうとしたことがある。しかし、それはよくあるそこら編のRPGというフォーマットに従っただけで、所謂この発想はなかった系の創造物ではなかった。というか公開すらしてないオナゲーだ。
ゲームのジャンルもそうだ。スカイリムとかの何でもできる系よりも、敷かれたレールをたどるような一本道と揶揄されるゲームのほうが逆に心地が良い。
結局の所、頭を使うのが面倒くさいと思うタイプのようだ。
頭を使って○○する、というのが茨の道に感じられるタイプ。
自分で仕組みを作るよりも、人が作った仕組みを利用する。
自分で動画を作るよりも、他人が作った動画を閲覧する。
自分で文章を書くよりも、他人が書いた小説を読む。
というような受け身体勢。
ほぼ例外なく自分で動画を作ったり小説を書くような人は他人の作った動画や小説を見たり読んだりしているだろう。それこそえげつない数の。
そういう人たちは自己研鑽のためにコンテンツを消費しているんだろう。糧にしている。
悪いところを改善シミュレーションしたり(つまらない映画を俺だったらこうするねって自分の中で改善していく感じ←冨樫先生がやってたストーリーテリングのトレーニング?らしい)、良いところを盗んで自分に取り込んだりする。
いずれも目的は自分のコンテンツの価値を向上させるため。
向上心なるものがある。
でも多分だと思うけど、一つに絞ってるからこそそういう向上心というものは生まれるのかもしれない。
俺のように雑多なものに興味を持ってにわかレベルで終わるような人間はいっときは向上心を持つからもしれないけどそれは長続きしない。
結局、向上心はなくなる。向上心なるものはない。
でもプログラミングをやらなきゃ・・・としていた頃よりもだいぶストレスはなくなっているのは間違いない。
その証拠に肌にできる謎のぶつぶつが全然できなくなった。
RPGツクールでRPGもどきを作っているときもそうだったけど、あるところで壁というものが出てくる。一通りのツール操作を覚えたものの、機能として存在している変数やスイッチを活用した高度な仕組みを作れないというジレンマがやってくる。
(例えば、RPGツクール2000でドラクエのような仲間を連れて歩く仕組みやポケモン丸パクリのシステムを自作しようとしたけど面倒臭くてやめたことがある。まぁでもすでにライブラリみたいに作ってる人いたけど)
基礎から応用への壁という感じだろうか。そしてプログラミングでも同じ壁にぶつかっている。基礎は終えた、いざ応用へ・・・というところで詰まってしまうのだ。
基礎はさらった、でもそっから何つくればいいの?というすでにあるアプリの完成形を自分の技術を使って完成させるというビジョンが一向に見えてこない。
それにイライラして毎日過ごしていたけど、すっぱりやめたら精神的には楽になれた。
何も前に進んでないけどストレスはほぼほぼフリーになっている。
・久々の今日ポケ
ついに出た。
でも皮膚が悲鳴。熱い。死ぬ。スマホもあっちっち。
・今日見た動画
傍から見る学習ドクターの松本さんを捉えた貴重な映像。(偶然会ってせっかくだからとコラボということになったらしい)
完全にへん人に見える。松本さんの動画の松本さんよりコーカさんの動画に映る松本さんのほうが数段面白く見えるし、かっこよく見える。プロだなぁと思った。
というか松本ドクターの同行者の数が財前教授の総回診並みにいることに驚いた。
ドクターだけに。
昨日から久々に最俺のトワイライトシンドローム究明編を見ている。
5回目のこーすけのアフレコが久々に聞きたくて見始めたけど全部見てしまった。(ゲーム内容も普通に面白い)
↑の動画のうえだゆうじ(るろうに剣心の左之助やポケモンのタケシの声当ててる人)氏の涙声を何回か聞いているうちに自然と涙が出てきそうな様相を呈してきた。
泣くことは最大のストレス解消なのでここぞとばかりに波に乗って泣くことに成功した。声色だけで涙を誘うのはすごい。
以上
1年前
kusomamiren.hatenablog.comいやードラクエ11楽しかったなぁ。
家から一歩も出ずに16時間ぶっ通しとか普通できないもんね。