シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情[1]。
いわゆる、ざまぁ。
望んでしまう。ハンターハンターのトンパみたいに。
特に人生うまくいってそうな人が絡め取られているとこを見ると。
表面上ではこういう気持ちがある(自分の人生が充実していないもんだから漠然と他人の不幸を望む感じ)し、このブログでもそのようなことを書いてきた。
でも、実際そうでもない気がするんだよなぁ。他人のことなんてどうでもいいし。
もちろん街のリア充を見ては面白くないな・・・とは思うけど離婚すればいいのにとか別れればいいのにとは別に思わない。(無意識には思ってるのかもしれないけど、強い思いではない)路上でタバコを吸ってるやつに対しては地獄に落ちろと思うけど。
これは多分他人と関わらない人生を歩いてきたからなんじゃないかと思う。
普通に生きていると他人と関わらざるおえない。その過程で目の上のたんこぶもいる。そういうやつが失敗すると嘲る・・・というのはイメージができる。
と思ったらwikipediaの説明に天罰が下ることの相応性がないとシャーデンフロイデは生じにくいと書いてあった。
他者の不幸が相応と知覚されている不幸の責任の所在によってシャーデンフロイデの生じやすさは変化する。その不幸が他者自身の落ち度であればシャーデンフロイデが生じやすいが、不可抗力な事態であればシャーデンフロイデは生じにくい。
スミスの分析では、シャーデンフロイデは対象を自分より劣った者と見なす下方比較によって生じる感情
自分より劣った者を見下す?
とりわけ妬みはシャーデンフロイデと表裏一体の感情と捉えられている。妬みとは自分には無いものを持つ他者を見て、自分が劣った存在であると自覚する自己意識である。
↑によると俺は街の人間に対して妬みの感情を持っているらしい。
妬みとシャーデンフロイデは対極的位置にある。
なるほど、だから街の人間(俺の持っていないものを持っている、そしてそれは俺に無意識だか意識的に劣等感を感じている)に対してシャーデンフロイデはそんなになくて、妬みとして面白くないな・・・と思うのかもしれない。(よくわかんないけど)
関係ないけど、ひろゆきが言ってた、自分が安全なところにいて見る他人の殺し合いは最高のエンターテイメントというのとちょっと通じるものがあるような気がした。
・散歩
有楽町行ってアキバのルート。
以上
1年前