・散歩
午後7時から散歩。ビッグ・エーで食パン買ってから荒川沿いを散歩。
今日も映画。7本くらい見た。しかし毎日こんなに見てるのに試しにロバート・レッドフォードの出演映画を見てみたが一つも見たことない。まだ見ていない作品のほうが圧倒的に多い。このまま何年もかけて1000本見たとしてもまだ圧倒的にきっと見たことがない映画のほうが多いと思う。一生の間に見れる映画は有限だ。
そして駄作は掴みたくない。となるとみんなが知っている名作とか高評価の数の多い映画を優先して見ていくのが合理的だ。しかし名作にも限りがある。名作を見尽くすと残りの人生は名作になれなかったそこそこよさげ映画が優先して見ていくべきものになる。しかし名作は年々増えていく可能性がある。突然変異で生まれた天才映画監督が名作をいくつか世に送り出したところでその映画監督はいつか死ぬ。だから一人じゃ足りない。だから才能ある監督がいっぱい生まれてほしいと思う。
しかし名作から見ていくというのはつまらなくもある。レビューを見てからというのもどこか「コントロールされている」という気になるふしがある。
「お墨付き」は他人が与えたもので星が多ければ多いほど確率は高くなるが、それが自分にとっての名作である確証はない。古い映画はその人の思い出補正というバイアスがかかっていてその作品の実力より上の評価が与えられていることが少なくない。勿論全部そうとは限らないしBTTFやデデンデンデデン2のような時代の移り変わりに左右されない名作というのもある。
AIとか合理の塊みたいな人だったら名作から処理していくのが人生の質を最も効率的に上げるベストな方法だ。
しかしそれはしたくはない。自分にとっての掘り出し物が見つかることも期待している。レビューなんてあてにならないじゃないかというやつ。
そもそもレビューを見たくない。レビューはネタバレが含まれてるリスクもあるし、余計な先入観を頭に植え付けられる。
鑑賞中もそのいくつもの他人が与えた平均値に囚われる。それはつまらないことだ。それに他人が与えた平均値よりもその映画に対する自分の与える評価が下回った時はがっかりする。つまり無駄にハードルが上がってしまうというリスクがある。
だから見ないようにしている。でもだいたい自分の評価と他人がした評価の平均は似通っていることが多い。そこを上に外れてくれた映画はどこかオンリーワンであり愛着もでてきそう。
レビューは見ないで映画を見てからレビューを見る。そうすると2時間まるごと盗まれるリスクはあるし、そうして盗まれてきたことも一度や二度じゃない。
そしてこれからも盗まれ続けて時間の損をし続けることだろう。
以上
1年前