クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2022年09月18日クソ散歩 ~夜に買い物~

 

 

・しまうまFF9終了

オズマ戦(最終回)は普通に面白かった。

でも見てる最中にだんだんこの人の嫌なというか個人的にイマイチな点が見えてきてもうこれ以上他の動画を見るのはいいやということになった。

 

公式チート(今のリマスター版とかに追加されてる倍速機能とか)を使うのを一応躊躇するものの、それ以降はそれを使い続けるというのがまずある。

いいのだろうか・・・と思いつつもそのずるい便利機能を使うことを当たり前とする彼の姿勢がちょっと気になった。

豆腐みたいな意志だなと。

七原くんのギフトは絶対受け取らないみたいなそういう精神はないのかと。

 

プライベートならともかくリスナーに向けて発信している実況配信でそれ使うのどうなの?というのもある。

 

また、そういう配信者(チートを我が物顔で使ってる人)ってあんまいないよねとか言って開き直って”これが自分のスタイル”化しているのも気になる。

 

そういえばこの人ドラクエシリーズをずっとプレイしているときも”AI縛り”を自分のオリジナルスタイルとしていた。

味方の行動をすべてAI任せにして”めいれいさせろ”をしない。

というのがその縛り内容。

 

縛りというのは基本的にプレイヤーが辛く困難な道を歩むことが想定された意味合いな気がする。

でもこのAI縛りはそういう苦労する未来の垣間見どころか、自分で仲間に司令を出すという行程をただ端折ってるだけにしか思えない。

普段ヘラヘラしてるしまうまさんらしい随分ハードルの低いなんちゃって縛りに見えてならない。

 

彼の超魔界村配信でも巻き戻し機能を当たり前のように使っていた。

ちなみに結局それ使ってもなかなかクリアできずイライラ。挙げ句の果てに2周目をやるつもりだったのに1周目を辛くもクリアして2周目をちょっとやったとこでやめてしまった(でも普段ひょうひょうとしている彼のガチでイライラしてるとこが見れて俺は少し嬉しかった)。

 

 

でも通しでクリアすることに意味があるゲームとい娯楽でこういう事するとゲームじゃなくて作業になる気がする。

将棋で言うと待ったし放題の状態。

 

見てる側が普通に見てて冷めてしまう行動を彼は当たり前のように取っていて正直実況者として最低限のレベル以下になってしまっていると感じた。

 

もちろん別にこれは俺個人の意見だ。

本人的にそれでいいならそれでいいし、彼のリスナーもまぁしょーがないかみたいな感じで許容している。それで本人、リスナーともに楽しんでるなら別に外野が首を突っ込む話でもない。

 

ただ俺は胸焼けのような不快感をそこに感じてしまった。

あと自分で言ったことでよく笑ってるけどそれほど面白くない。

本人が楽しそうだから・・・と最初の方は思っていたけど頻度が多いと胃もたれを起こす。

まぁ本人の趣味配信だからそれでいいんだろうけど。

 

・自分の中で生じた相手に対する否定的な感情

こういう自分の中で生じたネガティブな感情のやりどころで世の中トラブルが起きているような気もする。

 

ネガティブな感情ってのは文字通り相手を否定する感情だ。

相手を否定することは常にトラブルの可能性をはらんでいる。

トラブルまで発展しなくても互いに憤りのマイナス感情になる。

表に出せば。

 

だから出しちゃいけないんだなと思った。

だからみんな普段は出さないんだな。世の中の人間よく知らんけど。

でも無意識で悪気なくとか酒の席とかムカついて我慢が解けたときとかとある拍子にぽっとそれがでる。

それでトラブルに発展。

そんなんで世の中の問題事件とかが起きてるんだろう。日常茶飯事。

 

例えば、しまうまさんの実況スタイルを否定したいと思う自分がいる。

俺の中にある”実況者はこうあるべき”みたいな基準があって、その枠の中に彼を入れて評価して評価した結果否定したくなった。

 

これは自分の中のルールみたいなものを押し付けているということでもある。

彼には彼のやり方というものがあるのに。

それを考慮に入れずに我を通す。

それは自分のエゴだろう。

 

思ってるまではいい。

でも仮にしまうまさんの配信に顔だしてあなたのこういうところがつまらないということをつらつら具体的に指摘していったらとしたら否定を表に出したことになる。

マイ基準を表出して彼に押し付けた結果、あるのは微妙な場の空気だ。

 

そんなことをしたらおそらく無視されると思う。

反応しないこともまたトラブルを避ける手段の一つであるからだ。

けど本人やリスナーには見えてるので内心いい気はしないだろう。

 

相手への否定を撒き散らした結果そこに有るのは単なる不快感だけ。

これが常識的な世界なんだと思う。

 

だから横山緑を筆頭とするニコ生の生主文化は異常なんだと思う。

そういう否定で成り立っているような世界だから。

だから面白いんだろうな。正常じゃなくて。

そういうのを面白がる人たちがそこに集まるんだろう。

 

否定したくても現実ではできない。

気軽に他人を否定してたら自分の立場が消える。

でもニコ生だとその押さえつけている否定感情を匿名の覆面かぶってぶちまける事ができる。お手軽に。

 

俺もバイトとかして同僚とかができたら否定を表に出さないように気をつけるとしよう。

と、ここで締めくくろうと思ったけど、もし相手が俺に否定感情をぶつけてきたらどうすればいいんだ。

 

加害者でなく被害者になったとする。

そうするとまず湧き上がってくるのは反発とか憤怒とかそういうなんやねんこいつみたいな感情か。

それからこう考える。

こいつは一般社会で出しちゃいけない否定をぶちまけた。

ああとことんやろうじゃないか。

表出な。

 

と完全対等な場合は思うだろう。

でもそうでない場合は?

 

相手が893とか格闘技経験者とかマッチョとかだったら自己防衛本能が働いて情けない話だけどそういう反発感情は引っ込むだろう。

 

でも物理的損害を被らない職場での上司部下の関係性だったらどうだろう。

俺が部下の場合。

まぁこういうときもとりあえず立場を考えてやり過ごすだろう。とりあえずは。

その後指摘なり否定なりの妥当性を検証する。

 

正論とか言われてこちらに非が有ることを自己確認すれば流せばいい。

いいのだが・・・

こういうときって大体”言い方”がどうだったかのほうが重要だったりするんだよなぁ。

 

的を射た指摘をされたとしても言い方が気に食わないものだと、なにくそとなり反発が生まれる。

指摘内容は正しかったとしても反発の悪感情の発生は抑えることが難しい。

 

このパターンで方法はいくらかあれど抑えることができるやつが大人なんだろうな。

大人じゃないDQNはブチ切れたりして手出してクビ&逮捕とかになる。極端な場合。

 

言いたいことも言えないそんなポイズンに対する耐性があるのが大人。

どうもそんな感じがする。

 

以上

1年前

kusomamiren.hatenablog.com