クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2019年09月28日クソ散歩 ~我が家のおにぎり~

 

散歩の帰り道、ふとしたきっかけで両国のクリエイトで緑茶2Lを購入した。当初は道歩きながらチョコレートを食う計画でいたが、せっかくということでおにぎりにチェンジ。亀戸のドンキまで我慢して明太子と鮭のおにぎりを買う。ひと目につかないところでカラの700mlペットボトルに半分ほど2Lのお茶を注ぎ込む。卑しい光景だ。普通の人は割高な500MLの緑茶を買うだろう。でも俺は人からどう思われても気にしないことに決めたから別に他人の目はどうでもいいのだ。

 

最初の明太子おにぎりと緑茶の組み合わせはそうでもなかった。あれ?と思った。でも〆の鮭おにぎりと緑茶のコンボで至福の境地に達することができた。ああ生きててよかった。これである。

 

でもなんでこれしきのことで幸せな気分になれるかっていうと、幼少の頃の記憶に違いない。

俺の家ではお彼岸の時期になると静岡にある霊園に墓参りをするという風習があった。そしてきまって休憩室の地下のでかい食堂のようなスペースで自家製のおにぎりを家族みんなで食べるという習慣があった。

母親とばあさんが朝早く起きてこしらえてくれるのだ。おにぎりの型で作ったおにぎりにのりを巻く。俺の家は作ってすぐにのりを巻く派だった。

 

味は梅と鮭の二種類。

でも今思うととても贅沢なのだ。

 

コンビニとかで売ってる鮭おにぎりはコストのかさまない鮭フレークが入っていることが殆ど(一部の高級おにぎりを除く)だ。梅おにぎりも梅干しの破片が入っている程度。でもうちのおにぎりは違う。わざわざ朝に鮭を焼いて切り身を詰める。梅干しもそのまままるまる一個詰める。なんて贅沢なんだろう!時間的にも材料的にもコストかかっている。もちろんめちゃくちゃうまい。

 

別途厚焼き玉子とウィンナーにきゅうりの漬物も作ってでかいタッパーに入れて持っていくのだ。お茶はでかい水筒に入れていく。

そしてお墓参りが終わって小腹がすいた頃に食べる。

ああ、美味しかったなぁ。

 

このエピソードは俺の家族の記憶の中で良い方に仕分けされている。

だから同じようなものを今食べても当時の幸せだった感情の記憶が再生されて幸せな気分になるのかもしれないなぁと思った。

 

(でも「今」幸せを感じるのは、自分が納得できるコスパのおにぎりを食べたときに限るんですよね。割高だとうまいより高いというのが優先されて損した気分で食べることになるでしょう。貧乏で貧乏性なんで)

 

 

でもさぁ、こんな体たらくで誰も信用しないし心も開かない俺だけど、家族になら裏切られてもいいと思っている。そもそも俺自身家族を何度も裏切るような行為をしてきたし。

たとえ全財産騙し取られたとしても、それ以上のコストが俺にはかけられていたわけだから。大学まで行かせてくれたけど俺の今までの人生の全稼ぎより上なのは明白だ。

 

家族に対するいい思い出なんて今まで全然思い出せなかったけど、なんの変哲もないことがそうなんだなと思った。別にお墓参りのときのおにぎりに限らず、毎日朝昼晩と手間ひまかけたご飯を提供してくれたこともありがたいことだ。コンビニ弁当でも買って食いなと千円札を渡すような親じゃなかった。(逆に当時はそういう人がうらやましかった。コンビニ弁当とかファーストフードはめったにありつけなかったから)

ひとり暮らしをしてみると尚更ありがたみがわかる。だって、出来合いのもの買うか自分で作らないと飯出てこないんだもん。

 

家族と別にご飯を食べるようになってからも、ちゃんと俺の分を残しておいてくれた。←今思い出したことなんだけど、考えて見るとその優しさに泣けてくるな。涙は流さないけど。でも当時の俺はありがたみがわかってなかったんで、余計なことを・・・自分で作るからいいのに・・・と思っていた。

 

全く俺の家と関係ないけど、ドラマの花より男子の1話で母さんと父さんが夜なべして成金弁当(後に道明寺にひっくり返されるやつ)を作っていてそれをつくしが隠れて見ているという光景を思い出した。うちはつくしの家ほど貧乏じゃなかったけど、まともな家だったのかもしれない。なぜ俺がクズに育ったのかは今までこのブログで書いてきた通りだけど、結局自分に原因があって父親がアレだというのも言い訳だったのかもしれんな。まぁそんなクズでも俺は自分のことをクズと思わないようにしてるけど。(他の人にクズと思われても別にかまわない。)

 

以上

1年前

 

kusomamiren.hatenablog.com