さっきの記事を見て思ったが、人との繋がりがあれば土日のおひとりさま竹下通りも楽しいものとなるのではないか。
仕事、彼女、友人、家族
それら一式揃った環境にいるとして、土日には通常であれば上記4つの中から何かしら選び、仕事なら仕事をして、人間ならばそれらと共に行動をすることになるのが通常である。
しかし、あえて人とのしがらみを離れておひとりさまの休日を楽しむ。
こういう人は楽しめるだろう。
自分の選択次第で行動をともにする人物を連れて行くことも可能だからだ。
一人で行動する
彼女と行動する
友人と行動する
家族と行動する
この選択肢の中の1つなのだ。
そういう人は余裕がある。だから自己憐憫に浸らない。浸っている時間がないほど忙しいだろうから。強者の余裕。ひとり竹下通りで孤独感を感じることもないだろう。
しかし俺は
一人で行動する
これしか選択肢がない。
そういう俺は余裕がない。このまま死ぬまで一人だったらどうしようとか、無職でどの面下げて友達になってくれる人がいるのかとか、彼女ができたところで結婚もできないし子供も養っていく経済力もない。家族は別のどこかで暮らしていてあちらにはあちらの生活があって自由自在に召喚することもできない。遠いとこだし。
無職で職なし。だから時間はたっぷりある。自己憐憫に浸る時間もたっぷり。
暇。弱者の焦燥感。ひとり竹下通りで孤独感を感じないことはないだろう。
俺が隣に行動する人間を獲得する方法は俺と同じような人間を見つけ出すしかやっぱりないんだろう。
そうすれば先ほどの そういう俺は余裕がない。以下の自分のキマリが悪い面を感じなくて済む。普通の生活をしている人は俺と違う世界に住んでいる。決して手が届かない世界に。だから自分に近い世界の住人から募る他ない。
結局類は友を呼ばざる終えないんだなぁという結論に至る。