絶望を感じると胸がじわりと痛む。俺の送れなかった青春時代を送る人たちを見たりするとよく起こる。しかし、そういう光景を見て絶望を感じることはなるべく避けたほうがよいということを思う。なぜこんなことを思ったかというと、皮膚病となって現れたからだ。精神的に鬱になるのはまだマシだけど、こうやってリアルの病気に転化してしまうのは、よろしくないことだ。痒いし、金かかるし、なによりクオリティー・オブ・ライフを著しく低下させる。ただでさえ人より少なめのQOLを。病にならないためにも、前向きに生きられるようになりたい。
青春時代といえば、ひろゆきの話で青春時代の帳尻合わせをするお金持った大人(不遇の青春時代を送った過去を持つ現在金持ってる大人)はセンスの宜しくない金の使い方をするみたいなことを言っていたけど、金持ってないから帳尻合わせすらできない無職は絶望を感じるほかないのだ。
あとはストレス。
自由気ままな無食生活はストレスとは無縁と考えるかもしれない。ただ、それは衣食住に困らないほどの一定額の金が定期的に死ぬまで入ってくるという保証があればそうなのかもしれないが、世の中そうなってない以上、どうしてもその部分で少なくないストレスを感じることになる。
かと言ってそれらを覆すように行動するとしても、どれが自分に合っている正解の道なのかが全くわからず恐怖で決められることもできない。
すぐにエラー修正できるというものでもなく、時間をかけてから間違いだったとわかるという困り物。
何回繰り返すんだろう。
法律を学んだこともあったけど何も役に立ってない。無駄だった。そしてもうプログラマー限界説の歳になろうとしている。まだなってすらいないのに。
てか、ぼっちで生きていて、これからも生きていこうとしている人間がフリーランスなんて糞ハードモードな気もしてきた。だってまるでつながりないじゃん。仕事なんて回ってこない気がしてきた。そうなるとクラウドソーシング⇢低賃金⇢オワタになる。
これじゃあいつか病気にもなるわな。