クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2019年09月15日クソ散歩 ~練習する理由とか~

 

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今日は午後4時半くらいから散歩。

なんでこんなに出発が遅くなったのか自分でもわからない。

俺昼間何してったっけ?本気で思い出せない。

 

今日は有楽町→アキバ→帰宅。

有楽町の時点ですでに19時くらいで真っ暗。

ヨドバシアキバには21時45分までいた。

こんな時間までいたのはじめて。

 

帰りに菊川駅前の交差点の横断歩道で信号待ちしてたら自転車ひっくり返したおっさんがいた。(いかにも友達になれない系)

傘開いたまま地面に置いて倒れた自転車と転がってる荷物の処理をし始めた。

風がそれなりにあって傘が飛ばされるか飛ばされないか微妙で周りに俺しかいなかったので傘持ってそのまま渡してやった。ありがとうございますと何回か言われた。

全く嬉しくなかった。

なぜだろう。

人に親切にして礼を言われたらいい気分になるもんだと思う。

でも本当に全く嬉しくなかった。

 

それより有楽町の試遊機(前にフォートナイトのしかないと言ったけどいつもの試遊機は別にちゃんとあった。めちゃくちゃでかいテレビ。)で8連心眼(→スト5の一発芸みたいなもん)を決めた時に偶然見てた誰かのパパにすご~いと言われたほうが嬉しかった。(何気にあの8連続ブロッキングに対して反応があったのは初めてだった)

 

親切で人に礼を言われるより、自分の実力を称賛される方が嬉しいと思う派らしい。どうも俺は。

8連心眼(アビゲイルのハイブリッドチャージ最大溜めを8回心眼する)は1ヶ月くらい練習して安定してできるようになった。まぁCPU相手だが。

ほんとしょーもないことだけど、努力が報われたことに対する嬉しさでもあるかもしれない。

 

だから楽器も練習する。昨日ドヤりたいから楽器練習するとか言ったけど、直接それを狙ってやってるわけじゃない。ただ外でブラインド練習している感じのほうが強い。

こんなん絶対できねーと思ってたことが、今では全部じゃないけどそれなりに様になってきている。

目に見える形で成長を実感している。これは単純にすごいと思う。だってできないと思ってたことがちょっと出来てるんだぜ。俺すげー状態じゃん。

 

楽器練習やスト5はそれがモチベになっている。

でもポケGOはそういうのが無い気がするんだよね。

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・ポケGO飽きた理由その2

ちょっと前に俺がポケGO飽きた理由の一つ、「無課金ゆえのプレイの制限によるフラストレーションの蓄積」を取り上げた。

 

でも一番は「成長の実感のなさ」なんじゃないかと思う。

成長の実感は楽しい。

できなかったことができるようになるのは素晴らしい。

俺はそう感じる。さっきも書いた。

 

ポケGOにはできないことができるようになったみたいな成長の実感。

それがない。

 

確かにやればやるほど、捕獲数、勝利数、歩行距離の数値は増えていく。

色違い、いい個体値ポケモンもやればやるほど増えていく。

 

でもそれで自分の腕が上がるわけじゃない。成長するわけじゃない。

成長要素はボール投げがうまくなることくらいしか思いつかない。

PvPとかもあるんだろうけど全く興味なし。

 

スト5や楽器練習は成長の実感がある。さっきも書いた。

それらと比較した結果ポケGOをガチることが虚しくなった。

 

もちろん出不精な自分を外に出すお散歩アプリとしてならアリだ。

でも俺はポケGOなんかなくても勝手に散歩するし、散歩中にポケモンGOは今は邪魔に感じている。

俺は散歩そのものが楽しいのだ。

ポケモンを捕まえることは楽しくない。

同じことの繰り返しだから。

だからもう立ち上げてすらいない。

 

とは言え、ポケモンGOやってる人を否定するつもりはもちろんない。

何に楽しみを感じるかは個人差があるから。

それに俺もポケGOに楽しみを感じていた時期もあったし、今後また楽しみを感じる時期がくるかもしれない。

 

ただ楽しみを感じていないのに惰性で続けることはやめた。

それより楽しみを感じられることが新しくできたのに、すでに興味を失ったものに水をやるような行為をするとしたらそれは足かせでしかない。

 

というような選択を人間でしてしまうかもしれない。

一生ボッチなので仮定することすら意味をなさないかもしれないけど、結局俺は家族を作ることに向いていないのかも知れないなと思った。

 

価値観が一般の感覚とだいぶ乖離しているのでのたまうこと事態無意味な気がしまくりだけど、家族ってずっといるとあんま興味なくなるじゃん。ツッコミどころ満載だけど。

あとポケモンGOと家族ってなんか似てる気がする。

基本同じようなことの繰り返し。いるのが当たり前で常にどこかつまらない感覚が頭の片隅にある。

たまの新システムや色違いの実装は子供が小学校に入学したとかのイベント。

でも基本同じ日の繰り返し。ルーティーン。

ポケGOもイベントやフェスで出現するポケモンパターンは変わってもポケモンを捕まえるという枠からは外れない。

野生で捕まえる。

レイドのゲッチャレ。

タマゴ孵化。

方法は違っても最終的にポケモンを捕まえている。

○○フェスティバル、○○ウィーク、○○イベントとか開催されてもやってることはいつもと同じようにポケモンを捕まえるだけ。

ポケGOはデジタルデータであるポケモンを家族のように養うゲームに今の俺は見えている。

 

もう半ば飽きて惰性でやってるけど、なぜかやめるにやめられない。ガチ勢に差をつけられるから休めない。無料パスもったいないから仕方なく義務レイド。

それでもまぁそれなりに楽しいんだけど、やらされている感もどこかで感じている。

やらなければならない。やる責任はないけど、責任のようなものをどこかで感じている。

なんかそう考えたら家族を養うお父さんみたいなゲームだなとちょっと思えてきた。

 

それにしても何のためにポケモンGOをやってるんだろう。(やってたんだろう)

そんなことを考えずに気づいたらやっている。楽しいからやっている・・・みたいな状態がハマり状態なんだろうけど、ずっとその状態に居続ける人は超人だと思う。いくら習慣化しているとはいえ、どこかで何かしらの理由によりブレる時がくると思うんだけど。

 

でもそうならない人が確実にこの世界にいるというのもまた事実。

多分ポケモンGOというゲームが心底好きなんだろう。そういう人は。

そしてそういう好きでやっているガチ勢にはライト勢は誰も勝てない。

ひろゆきウメハラも似たようなことを言っていた。

 

好きでやってるやつに打算でやってるやつは勝てない。

 

例:IT会社に就職したくてプログラミング始める人は子供の頃から好きで勝手にやってたようなプログラミング大好き人間には絶対勝てない。

そんな理論。

 

その勉強バージョンが灘のトップ層とか東大理3にいくような人たちなんだと思う。仮定話だけどそういう連中はそれこそ好きでやってるので嫌々やってるやつが勝てるわけがないというのも納得な気がする。

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・他人は他人、自分は自分

の真の意味は自分をよく知るということに通じるんじゃないかと散歩中に考えた。

俺は恋人を作るということはできない。

できるorできないで、できないということがわかった。

認めた。

そういう人間だと。

以前はまだ自分にもできるかもしれないなどと曖昧な感じだった。

でもそのどっちともつかない曖昧な感じが、できてるやつがそこらへんに沢山いるのに俺はできないという自分下げみたいな劣等感の原因になっていたのだ。

 

でも俺は今は可能性は捨てた。不可能と認めて可能性を断った。

そしたら自分が安定した。コントロールしたと言っても過言じゃない。

以前は美男美女カップルなんかを見て鬱な気分に浸っていた。

でもそういうことが可能な人がいる一方でそういうことができない人もいる。

その一人が俺と思うようになった。

他人は他人、自分は自分というのはそういうこと。

 

可能性を捨てることで前に進めた気がした。

 

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今日までで1日平均30km歩いてるらしい。9月。

 

以上

1年前

 

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