午後4時くらいからアキバに向けて散歩。
午前3時就寝→午後9時起床で睡眠時間が全然足りてないので床で寝っ転がっていたら気持ちよくなって2時間程度昼寝してしまった。
そういえば最近また風邪気味だ。
でもそりゃそうだとも思う。
昨日の気温なんて最高24度、最低20度くらい。(うろ覚え)
よく考えたら冷房を20度に設定して寝るみたいなもん。(外気温と室内温度の差はあれど)
そらいつもどおりの装備で寝たら風邪も引きますわ。
という感じ。
最近亀戸のドンキで値下げしたおにぎりとかお稲荷さんや70円くらいのクリームパンや蒸しパンを買って帰り道に歩きながら食べている。
外で食べるご飯はうまい。
台風の日に食べた弁当は最高だった。
でも毎回忘れるのが緑茶。
緑茶はおにぎりの相棒。
俺はおにぎり食べたあとに緑茶で締めるだけで幸せを感じることができる。
本当に最高だ。
ひろゆきの(性格にはひろゆきの知り合いだったっけな)言葉で最も好きな言葉が「舌を肥やすな。飯がまずくなるぞ」だ。
だから高級料亭やレストランに行きたいという願望はさらさらない。
おにぎりと緑茶で十分幸せ。
・身の丈
よく自分の身の丈にあったなんとかとか言うじゃない?
俺は自分のクソさを認めることができた。
職歴なし無職が一般人に昇格するなんて無理な話だったんだ。
現実の俺はがんばれない人間だった。
理想はプログラミング勉強して仕事取ってフリーランスエンジニアを名乗る。
これで無職とおさらば。他の人と同じランクに上がれるという算段だった。
でもそれは絵に描いた餅であり、現実化する努力をすることができなかった。
自分はなんてクソなんだと思った。
でも俺はそういうクソな人間なんだと開き直ったら気が楽になった。
もうプログラミングなんて1mmもやる気がない。
そして散歩生活に戻った。
街でもカップルを見てはやきもきしていた。
でも俺は自分を知った。
己を知るということは自分をコントロールするのに都合がいいことなのかもしれない。
俺にはああいうのが無理。
これまで一人でやってきたのだ。
今まで外圧によりああなれない自分を卑下してみたりもした。
自分と向き合って己を知るということをしなかったらずっとそれで不幸を感じていたことだろう。
でも今はできないことはできないと「認めた」。
それに今まで一人でいる時間が長かったので逆に言うと一人が落ち着くという発想も生まれてきた。
これまでは一人でいる時間が長い→社会生活に支障とか、一生彼女できないとかそういう理想の自分(=普通で実社会に溶け込めるような社会適合者)のようなものを勝手に設定してそうはなれない自分を卑下するという自分で自分の首を締めるような行為にふけっていた。
でも理想の自分になることを捨てて本来の自分を認めたら散歩そのものが楽しくなった。今まで散歩してても普通の人たちが楽しそうに歩いているのが目に入ってきて身勝手にも不快な思いをしていたけれど、そういうのがだいぶなくなってきた。
もう現実逃避のプロになってきた気がする。
貯金は確実に減ってきているけど無限に存在するように感じてるし(節約は大前提)、仕事にありつくための勉強的なものも何一つやってない。
一文の金にもならない楽器の練習だけはそれなりにやっている。
俺は楽譜を見ながら(正式には違う)最後まで演奏することはできる。
でも暗譜だとできない。
できるところとできないところがある。
暗譜でできないところを記憶を頼りに弾いていく時は本当に探り探りになる。
何時間も練習したのに何も見ないで弾いた時に全然弾けないということは日常茶飯事。
(だからできないところだけ集中的にやったほうが効率がいいと思う。)
でもたまに記憶と指がつながって手が勝手に音を奏でる時がある。
不思議な感覚だ。頭の中では霧がかっているのに、記憶と指がリンクすると指が勝手に動き出す。筋肉記憶というやつか。そういう時は高い確率で(暗譜で)できなかったところができるようになる。
でもそれはちょっと。それこそ1小節とか。
その1小節が成長でもある。そして目に見える形で成長の実感がある。
それが楽しい。
その1小節を積み重ねていけばいつか暗譜で全部弾くことができるようになる(はず)。
ま、金にならないんだけどね。
これから苦労するだろう。
でも今からその時のことを考えて鬱になるのは損だ。
ちゃんとした人は回避するための準備をするだろう。
資格とるとか、ポートフォリオ作りとか。
でも年齢と職歴なしも相まってとてもじゃないけど理想の自分が就職活動やって職場でチームで他の人間たちとうまくやっているイメージが全くわかない。
そもそもプログラミング好きじゃないし。
ついでに人間も嫌い。
街歩いている人間たちに対する思いは価値観の違う人間ばかりだなぁということだ。
恋人作って結婚して子供育てて・・・そんな人生嫌だ。
前にも書いた気がするけど俺の両親のせいだ。
喧嘩ばっかしてたから。
母親に対しても言っちゃ悪いけど父親の経済力にすがる寄生虫みたいな小狡い人間のようなイメージがある。
金持ってそうなオヤジと腕くんで歩いている水商売の女を見ると同じことを思う。
育ててもらってこんなこと言うのも恩知らずかもしれないけど、払拭できない嫌悪感がある。
とりあえず俺の身の丈というのは一人ぼっちの生活だということだ。
自分と向き合い自分をある程度知ることができた。
その結果、一人が性に合っていることを確認した。
カップルやファミリーが羨ましくも妬ましくも思えた時があった。
というか今でもそれを消すことができない。(ましてや微笑ましいなんて思うことは一生ないだろう)
でもそれらになることは俺の本当に望んでいることなのか?
そう考えると無理やり周りの普通人に合わせても結局離婚と養育費のコンボが待っている。
自分のことをよく知らずに成り行きのまま結婚してした人でそうなってしまった人もいるかもしれない。主な離婚原因である性格の不一致の一形態のようにも思えるし。まぁ価値観の違いとかですかね。
これもまた実際に試してみないとわからない。
そういう意味ではまだ俺はふわっとしたトラウマめいたものに支配されているのかもしれない。
(ちなみに今現在の俺はそういう誘いがあっても、全てを否定し拒絶するだろう。中二病とバカにされようが構わない。あっち行け、しっし!)
でも試すことを俺はしないだろう。
俺は行動力なし男ということを自分が一番知っている。
だから一生ぼっちで生きていくのだ。
以上
1年前