・散歩
アキバまで
閉店間際のヨドバシアキバから出てすぐのところでトランペット吹いてる人がいた。
普段こういう路上パフォーマンスは見ないけど、FF6のセリスのテーマ(音色からしてアリア(オペラの曲)ではないと判断)を演奏していて、聴衆も数人しかいなかったので気まぐれでその中にまじって聞いてみることにした。
奏者の出で立ちは旅芸人を彷彿とさせるけどてらってはいない。齢は俺と同じくらい。アカペラで歌うボーカルのように余計な音一切なしトランペット一本で勝負していた。
近くに「動画を撮ってもいいけど顔は写さないでね」というお願いの掲示があった(日本語のみだった。アキバは外人だらけなので英語も併記すればいいのにと思った)。
俺の隣でもともと聴いていた人は実に模範的な聴衆であった。
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最初カメラを向けて撮影。ちらっと覗いたけどちゃんと顔を映さない配慮をしていた。
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その後撮影をやめ聞き入る
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「なつかしいなぁ・・」とぼそっと独り言を言う。
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演奏終了後、遠慮がちに拍手
感想としては
とてもよかった
目立つミスもなく完走していたので演奏技術は確かなものだろうが、見られているという緊張のためか時折音が震えていた。
これは俺にとってはむしろ好印象。一生懸命やってます感が出ててよい。
なにより、押し付けがましくないのがいい。
路上パフォーマンスを毛嫌いしているのは、超絶技巧を大音量で試奏する勘違い野郎に通じるものがあるからだ。
今日の彼の演奏は「もしよかったら、懐かしんでみてください」みたいな謙虚さを感じる。
普段「速ければ速いほうがいい」みたいな技術オナニー野郎ばかりで辟易していたので落差でなおさらよかった。
周りが拍手をしていたので気まぐれで拍手をしてみた。そこで、気づいた。なんで拍手するのかを。それは相手に伝えるためだったのだ。心の中で拍手したい気分になるというんじゃなく(もちろんめちゃくちゃ感動すれば別だが)「よかったよ」という気持ちを伝えるための拍手。
拍手しないと伝わらない。言葉みたいなもんなんだ。
今日は半ば社交辞令的な拍手を送ってみたが、そう思った。
ちなみに、ファイナルファンタジー6(1994)という紙芝居風のボードがあったので、もしかしたらFF15くらいまでやるつもりだったのかもしれないが、寒いので帰る。
でも、自分でオーディエンスやってみて自分で言うのはなんだけどこういう聴衆ってありがたいよね。
寒い中立ち止まってわざわざ自分の演奏に付き合ってくれた挙げ句感謝の拍手までしてくれんだから。
聴衆を演じてみてそういう気持ちに至った。
いいね、おっさんホイホイ。
帰り道とてもいい気分だった。
そこで、ようやく彼の演奏で感動していたことが判明した。
心に響いていたんだ。そう思った。
その後YoutubeでFF6の曲を聴いたり、ガチくんのFF6実況を聞きながら帰宅。
感動といえば、↓はじめて聴いた時感動した。
www.youtube.com多分はじめて聴いたボーカロイド?なんじゃないか。今じゃ珍しくもなんともないというか枯れた技術感すらあるけど。
以上
1年前