クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

いらっしゃいませが言えなくて

 

俺はやることなすこと世間とずれている。
考え方からしてずれている。

 

だから、昨日書いたこの記事もずれていることだろう。

kusomamiren.hatenablog.com上の記事では、他人を例外なく排除することにより、勉強に集中し、他人を街で目に入れないことにより安楽を得るなどと俺は供述した。

 

しかし、これはやっぱりずれてると思う。
なぜなら、こんなことをやっているうちにまた自分がよくわからなくなって、このまま一生友達も彼女もできない、一人で孤独死するんだぁ~と遅かれ早かれまた言い出すに違いないから、根本的にずれているんだと思う。

あと、図書館カップルについて女連れに負ける気がしないぜ~!!とか言っていたが、図書館のカップルも基本並びで座っていても(一部のアホ以外は)基本押し黙って、飯食うときに一緒に席を立つみたいな切り替えを行っている。その切替スイッチが機能していない俺のほうが負けてる気がしてきた。

 

 俺の今後の人生、

 

他人無視、集中→将来どうすんだ?こんなことやってて正解なのか?自問自答


を無限ループすること請け合い。もうわかってるんだ。だって自分のことだもの。

それより強固な切り替えスイッチを自分に取り付けたほうがいいのではと今思った。
どっかの予備校のやる気スイッチじゃないけども。

 

他人全無視ってやっぱ度が過ぎていると思う。
なんで俺はこう0か1かみたいな2進法みたいな人間なんだろう。コンピュータか俺は。

そんなんだから、醸し出す雰囲気からして他人と違う異端オーラになっちゃってんだと思う。

 

今は「他人と比較しないこと」と、「オナ禁による女は人間思考」の翼くんと岬くんばりの黄金コンビでうまいこと悪感情を避けてはいる。精神にみかわしの服を着せているようなもん。

思うに、俺は少しの例を一般化して決めつけるという悪癖がある。人にいじめられた→だから人はみんな嫌い。そしてこのまま冬眠する。


すると、他人による好転の更新の機会も見事に逸失するため、人が嫌いという感情が記憶として残る。
今はまさにそんな状態だ。


10年間引きこもって、外に出た。
1年半ほど外に出てみたが、一向に人は捨てたもんじゃない(自分に対して)と思えるような更新は行われていない。
だから、人を敬遠するし関わるのが怖い。
その人には女も含まれる。


だから女も外側から見るになんか嫌だし、敬遠するし関わるのが怖い。

そしてそのスイッチはONに入りっぱなし。
これをOFFにすることはまず無理だろうどんな人間でも。

 

条件分岐で、親しい人にはOFF、その他はONということもできない。
というか家族にも俺はONになってた。
引きこもり時代がそうさせた。

 

バイトとかでもこのスイッチをONにしたまま人と(ぼっちよりは)密な人間関係に突入すると無理がたたって問題行動を起こすかもしれない。(バックレとか)


バックレならまだいいが、スイッチがぶっ壊れちゃってONもOFFもなくなり人を殴って首になるとか刑法に抵触する行為をしちゃうかもしれない。

 

このスイッチの切り替えのうまい人が、「いらっしゃいませ」とマシンのように言えるのかなぁと思った。俺は心にも思っていない「いらっしゃいませ」を言うのが苦痛という理由でとんずらするかもしれない。

 

俺はスイッチ切り替えが壊滅的にクソなんだろう。なんとなくコツは他人の意志>自分の意志にすることなんかなぁと思った。


自分の意志がまず先に来ていると、他人は自分を脅かす脅威にすら思えてくる。だから守りに入る。くんじゃねー。いらっしゃいませが遠くなる。

 

他人の意志を先にして自分をとりあえず殺すなりして譲ると、他人は来たくて来てるんだから、いらっしゃいませが近くなる。だから、いらっしゃいませに抵抗感がなくなる。


うまくまとまらねー。
これもまたずれているようだ。


とりあえず、他人と関わる事になったら、百歩譲って他人にほんの少しばかりでも興味を持つようにしないといけない。でもそんなことはしたくはない。自分本位でいきたい。でもそれは引きこもりなら許されるが他人とバイトするようなことになったら許されない。
だから、自分にスイッチを取り付けて、他人嫌いスイッチをひとまずOFFにして他人に自分を寄せていく。仕事が終わればONに戻せばいいし、誰かとねんごろな関係になればその人との関係ではOFFにすればいい。そんな感じか。