今年あと10日程度しかないんだね。
もう10ぺんくらい言ってるけど1年経つのはあっという間。
去年から1年分の細胞分裂をして老けた。
臓器も1年分使った。
取替でもしない臓器にも寿命があるのでその寿命のうちの1年分を消費したのだ。
簡単に言えば1年分おっさんになったのだ。
1年分のおっさんっつー払ったものに対しての対価が全然ないのが悲しい。
これを充実しなければと1年前は息巻いていたがそれすらなくなった。
このぬるま湯のような生活の心地良さを噛み締めだしてからというものの、有限な時間やら貴重な1日を有効活用しなければという義務感もどっかいってしまった。
外に出ず、上との比較に晒されるシチュエーションを回避し続けていると俺の場合こういう心境になるようだ。
毎日マルチタスクの湯に浸かり、ゲームしながら贔屓の生主やらYoutuberの動画を見漁る毎日。
永遠に死ぬまでこの生活をしてたいと所望する。
それを阻むもの・・・すべてはお金の心配。
そもそも何故働かなきゃならんのか。
住まわせてもらっている国家に税金という名の対価を払うため?憲法に書いてるから?世間体?家族食わしていくため?その前に自分が食っていくため?
ひろゆきに洗脳されてきたのか知らんが、稼ぐスピードが遅く、稼ぎ/時間効率の悪い人にその効率がいい金持ちが金ばらまくみたいな仕組みにしたほうがスマートな気がしてくる。そりゃあ働くのが大好きという人もいるけど、俺は金を稼ぐ必要がなかったら好きなだけ寝て好きなだけ動画見て好きなだけゲームするような生活をしているほうが働くより幸せ。そしてこういう人間は世間からクズ呼ばわりされる。という風潮。コンセンサス。社会通念。
かといって、余った時間をコンテンツ作成とかのクリエイティブな事をする時間に回す予定のない俺は本当に社会からしたらいらない人間なんだろう。
でもそれはあくまで社会からそう思われているというだけ。
自分もそいつらにならって自分をクズと責め、思い込むような事にはなっていないのは世間とは隔絶された場所に隔離されているからなんだろう。
餅は餅屋というように、引きこもりは引きこもりということだろうか。
餅屋は仕事するけど引きこもりは仕事しないという根本的な問題は置いておいて。
ただ俺は待っている。多分実現不可能であろうベーシックインカムを。
1年前
術後とは言え普通の人の10倍くらいは療養しているだろう。