また一つ幼少時代にプレゼントされたものを売却した。
親に買ってもらったスーファミ、プレステ、数々の思い出があるゲームソフト、子供の頃に少ないお小遣いで新品で買い集めた漫画本全巻セット、大切にするがあまり結局組み立てられなかった新品のプラモデル、昔家で友達と遊んだミニ四駆のコース。
それらもうほとんど家にない。
おっさんになってこんなになってしまったが、子供の頃は楽しかった。
人生で一番輝いていた時だった。
人並みに友達が男女問わずいて普通に会話できていた。
第二次性徴で顔が化物になるあの頃までは。
この10年捨てられなかったものたちをここに来て手放し始めている。
きっかけはやっぱり家族と離れて暮らしたことかもしれない。
今年の9月で別居してから2年。
殆ど連絡は取っていないし、プライベートで交際する知人、彼女を作ったこともないため、この2年孤独な生活を送ってきた。
孤独な毎日を繰り返していく過程で何かが変わったんだと思う。
捨てるぞ!と意気込んだわけじゃない。
自然に無理なくそういう気持ちになった。
キーワードは「墓場まで持っていけない」。
俺ももう若くない。
スーファミを買ってもらっったのは6歳とか7歳の時だった。
小学生やってたのが12歳、俺が最後に友達がいた13歳だった時から気づけばもう20年以上が経ってしまった。
もう20年経てば50代。それまで生きられるかわからない。
人生はもう折り返された。
墓場を心の底で意識し出しているのかもしれない。
俺にとって子供の頃は栄光の過去だ。
すべてが輝いていた。
モテる人モテない人の差はあったものの思春期以降の残酷さはなかった。
親も若かった。
内情は複雑な物を抱えていたものの傍から見たら幸せそうな一家だった気がする。
よく育ててくれたと思う。こんなクズを。そしてごめん。
今なら謝れそうだが、塩らくしてもしゃーないから言わんだろう。
そんな親も一人は60歳を越えようとして、もうひとりはいつ死んでもおかしくない状態だ。
でも栄光の思い出をくれたのもこの人たちなんだよな。ありがとう父さん、母さん。
そういう気持ちはあるけれど、実際に親に対して孝行しようという強さはなく、自分のこれからの将来の不安を支えるので精一杯だ。
俺の粗末な遺伝子を残したところで俺の子供が苦労するだけだから孫の顔は見せてやれないが親が死んだ後結婚すればよかったと後悔するかもしれない。
多分そんな時が来ても過去は戻らない、後悔してもしょうがないと割り切ることだろう。このブログで愚痴ってる通りifは考えてしまうだろうけど。
この一家に、俺の一家に何が足りなかったんだろう。
なぜ模範的な幸せな将来は訪れなかったんだろう。
子供の頃に考えもしなかった。
まさか一家離散することになるだなんて。
いつまでも5人と1匹だと思っていた。
そのいつまでも続く時間はある日突然失われ、思ったより長くは続かなかった。
両親のおかげで親のスネをかじった状態で引きこもりながら働いて貯金溜めて今の生活が出来ている。
ただ、感謝を返すための余裕がない。心の余裕が。
だからそれが出来ている人はすごいと思う。
俺よりはるかに守るべきものを抱えているのに。
いや、守るべきものがいるからこそなんだろうな。
孤独な人間の想像力の限界を超えて見るに。