自己肯定感のある人間になったほうがいいよ。
ってひろゆきは言っていたのを自己肯定感のある人間になりつつあるころに聞いた。
しかし、はいそうですかとは簡単にいかないだろう。
自分の場合は、
まず人間として普遍的な幸せというものが土台にあって、常にそれと自分を比較する。
周りを見渡せばそれができている人間が山程いる。
そしてそれができていない自分に自己否定感を感じる。
自己憐憫だの将来このまま死ぬのかとかいう恐怖。
というのがあった。
しかし、現状俺はその自己否定感をある程度払拭できていて、相対的に自己肯定感のある人間になりつつあると勝手に思っている。
どうしたら好転できるか?
王道の方法としては、自分が変わってそれができる人間になること。
ただこれには自分が変わるためにありとあらゆる努力をしなければならない。
でも俺は行動力ゼロで変われないので捨てることにした。
一生ぼっちで生きていく。
人間関係築かなければいけない。
友人の一人でもつくらないといけない。
彼女の一人くらい作らないといけない。
それら義務感の重荷を窓から放り投げた。
そしたら楽になった。
犯罪者が捕まって逆に安堵する感覚に似ているかもしれない。
散歩してからこのような義務感にとりつかれるようになった(外の人たちが死ぬほど目に入るから)のだが、終わってみれば外出る前の引きこもり生活(ネットサーフィン、ニコ動、ようつべなどの動画視聴等)の中に俺の幸せはすでにあったのだということを再確認しただけ。
ならこの1年半の苦しみはなんだったんだということになる。
まぁこれも経験だろう。
自分が変わる。
自分で捨てる。
まぁ、どっちでもいいと思う。
運動して痩せるか絶食して痩せるかの違いでどちらも方向性は違えど自己の幸福の追求という観点からするとそんなに相違ない気もするし。
ただ、俺は孤独でも全然いける口だということも再確認したので、元来人恋しい人とか構ってちゃんとかのような孤独に寂しさを感じる人は窓から捨てるのは難しいかもしれない。
でも他の人に依存しないで自己肯定感を持つことは結構重要だと思う。
寂しさで死なないためにも。
後から自分が変わればよかったとは多分もう思わないだろう。
自分が変われない性格だということを身をもって知ったから。
だからこの路線で行くととこまで行ってみます。後悔はないだろうし。