クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2020年08月18日クソ散歩 ~トラウマン~

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・散歩

午後6時半くらいに出発。今日は結構涼しい。散歩中汗があまり出なかった。

東大島から平井へ。平井の明るい商店街ゾーンに入ってみた。店屋も多いし人も多い。いつもはここを外れたところを歩いてるんで新鮮だ。

 

平井から亀戸へ。途中にバイクの運転免許を取る教習所のようなものがあり、バイクに乗った人がくるくる回っていた。

久しぶりに亀戸の業務スーパーで買い物。そこからビッグ・エーでも買い物して帰宅。

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亀戸のカズンというスーパーがいつの間にかオリンピックになっていた。

 

道中は藍上さんの雑談を聞いていた。この人もウェーイな生き方ができない人だ。そして些細なことを虫眼鏡で拡大して母親が嫌いなところを愚痴っていた。

 

誕生日ってなきゃいいのにとも言っていた。誕生日は誰も皆一人ひとり存在するものだから仕方がない。彼女が嫌いなのは誕生日にその人の誕生を祝うべきだみたいな風潮だろう。

俺も誕生日は寂しいような切ないような気持ちになる。俺自身は昔は誕生日がくれば親が誕生日ケーキを買ってきて些細な祝い事をした。大人になるにつれてその風習はだんだん忘れ去られていき、大学生にもなるとケーキは出てこなくなり、引きこもりの同居時代には誕生日の存在すら触れられなくなっていった。そして今は家に誰もいない。そんな中で迎える誕生日はやはり寂しい。昔が賑やかだっただけに。対比だ。コントラストの分だけ俺の心を寂しさに染める。だから誕生日はさっさと過ぎ去ってほしいと思いながら過ごしているし、このブログでも俺の誕生日は明かしておらず毎年スルーしている。

 

藍上さんは母親が勝手にプレゼントを送りつけて見返りを求めるというよくわからないことを言っていた。勝手に送りつけないでほしいとその時の出来事を思い返して憤慨して放送中にも関わらずだんだん不機嫌になっていった。開封すらせずにゴミ箱に突っ込んだこともあったとか。でもこういうのってしばらく立ってから悪いことしたな・・・みたいな罪悪感を感じると思う。表面上はわからなくとも無意識下では罪悪感を感じていてそれが無駄に自分を苦しめる。素直に喜んどきゃいいんだけどあんま仲がうまくいっていない身内にありがちなあの意固地がそれをさせない。家族と暮らしていたときにも似たようなものを感じた覚えがある。俺は波風を立てたくなかったので演技をしていた。

 

俺は中学2年を境に親と旅行したりドライブしたりショッピングモールに買い物に行ったりすることは一切なくなった。でもいい大人になっても親と一緒に買物する人たちもいる。そういう一家は「成功例」なんだと思った。他人の家族の内部事情なんて知る由もないがそれができてるだけでそれなりにうまくいってるんだろうという推定が働く。俺の家は失敗例だった。まぁ原因はそうなった俺にあるんだけど。もし学校の内外で普通に友達とわいわいすることができたならきっと家族と休日に一緒にどこかに行ける人間になっていたと思う。子供の頃のように。

 

まぁそれが普通だが、普通から道を外れてしまった人もいる。とあることが原因で人間不信気味になり人と付き合う際に必要以上に距離を離してしまう。しかし、そうするとおかしい人になるから、それの埋め合わせをするために自分を偽ったり、周りに合わせたり、無理をするというようなストレスを伴うような思春期を過ごす。それは素直じゃなく心的精神的負荷が常にかかっているため、いつかぐにゃりと曲がったり折れたりして、「ひねくれ」てしまう。しかも、周りには無理に合わせてることがバレバレだったりする。自分がうまくやってるつもりでも。

 

俺もそういうパターンでひねくれたクチだが、藍上さんも似たようなもんだと思う。俺が彼女に興味を持ったのはそういうシンパシーを感じたというのもある。まぁでも彼女は5,6年前に普通に彼氏なんかいたらしいし、そんなにブラックじゃない会社でちゃんと働いているし、芸能活動もどきのようなこともしている。そんなに不幸でもなく幸せでもない毎日を送っているらしい。積極的には死にたいとは思わないが、いつ死んでも別にいいと思っているらしい。

ちなみにその無職バージョンが俺だ。

でもなんか最後おかしくなっていたので多分彼女はしばらく配信をしないんじゃないかと思う。

なんか暗い話になっちゃったな。

 

以上

1年前

 

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