・散歩
スナモまで。
とある映画を見てて思った。
誰かを恨んでいるとしてその人が死んでから暫く経つとその人いい面だけが残って悪い面が覆い隠されていくのか?というようなこと。
もちろん親を殺されたとかレイプされたとかそういうのは別。
例えば親。虐待とかDVとかしない親だけど基本あんま仲良くなく口喧嘩はしょっちゅうみたいな親がいるとしてそんな親が死んでしばらく経つとする。
そしてその時憎らしいとかは思わない気がする。
俺も亡き祖母に10代の時は年単位で口をきかなかったりと憎らしいと思いながら生きてきたが死ぬまでの3年離別してその後訃報が届いてしばらくしても何の感情もわかなくなった。
興味がなくなったのかもしれないけど悪いことをされたことよりいいことをされたことの比重が大きくなるような気がしている。逆に生前はいいことをされたことより悪いことをされた比重が大きくなっているのは間違いない。
まぁ俺の場合祖母の生前死後であまり変わらなかったけど。MAXで憎んでいた時期から10年くらい経っていたし全く会わなくなってから3年経過したからそんなもんか。
親と同居しているときは親に対してネガティブ寄りな感情を抱いていたけど離れて暮らしてフラットな状態になったら感謝の念がそこでやっと出てくる。かといってまた会いたいとかは思わない。また同居すると嫌なところばかり見えてくるのが怖いというんじゃなく一人暮らしの気楽さが勝っているというだけだが。
俺はこういう風に捉える人間なのでやっぱり家族を持つとかは向いてなさそうだ。家族を持つなんてはるか遠く、今は人付き合いすら嫌悪している。嫌悪は面倒につながっていて結果身だしなみを放棄した。それはそれで気楽。友達とか彼女とか近所付き合いとかは諦めた。受容した。2年くらい前に。
深い悲しみの過程は否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容という5つの感情的段階を経て進行します。www.msdmanuals.com
俺はもう受容の段階に来てるのでもういつ死んでもいいと思っているのかもしれない。
でもまだ見てない名作映画とかいっぱい残ってるから積極的に死にたいとも思わない。
以上
1年前