渋谷ルートの一部
(渋谷⇢代々木公園⇢オーケー千駄ヶ谷)
渋谷には徒歩で50回くらいは来ているがこのルートはほぼ固定された。
このルート固定されてから30回くらいになるけれど、竹下通りに入ったのは5回もない。
なぜなら通るとオーケーまで遠回りでしかないからだ。
別に散歩(しすぎ)自体人生の無駄(体力多少つくし、認知症予防にも貢献するから全く無駄というわけではないが)なわけだから遠回りしても別にいいのに。
でも入らないのはやっぱ人大杉だからだろう。
まず、入ろうものなら必ず誰かしらのスマホに俺の姿がうつる。
何しろ行く度に入り口で写真とっている連中(明治神宮側)がいるからね。
原宿駅側から入れば後ろ姿で済むが、明治神宮前駅側から入ると顔が丸写し。
入ったら入ったでたまに街で出くわすとドキリとしそうな女の娘がうじょうじょいる。
だからある意味、道場的な要素もある。
ここで目を慣らして若い子に対する免疫を鍛える鍛錬を積むことでサドン街中美人目撃ショックダメージを減らせるかもしれない。
しかし、進行がとてつもなく遅い通りだとそれ以前にイライラしてしょうがない。
ここでただ一人孤独でリア充だらけの路地に入って何の意味があるんだろうとまず考えてしまう。
一回だけならいい。
ああ、こういう感じなのねということで物見遊山的な余裕を感じれる。
しかし、2度も3度も単独で入っているとそういうわけにもいかなくなる。
寂しさを紛らわすために入ってる哀れなオッサンである自分と向き合うことになる。
そして自己憐憫。もっと若ければ・・・失われた時を求めてしまう。
若くても同じような顔をしていそうだが。
いずれにしろ平常心だと普通の選択(激混みで進行が遅くイライラするだけの竹下通りを回避する)をするところ、渋谷ドキュンにバカにされ精神の抑制機能が機能しなくなって感情むき出しの時とか、穴蔵の深淵に突き落とされたかのような陰に入ったりとか、開き直ってとてつもなく機嫌がいいとかそういう変人状態じゃないと入っていけないのである。(まぁ平常心の時に入った時も一回あるけど)