クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2019年04月05日クソ散歩 ~詰んだ~

一日中できない設定と格闘して負けた。

 

本が古すぎるんだよまったく。

といっても2016年だけど。

でもPC関係だと2,3年はもう昔の話。

バージョンが同じだったことなんてありゃしない。

書籍を再現しようとしてもバージョンの齟齬で結局ネットで解決法を探しに奔走、始める前の環境構築で膨大な時間を費やす。

ポケGOみたいにアプデしてほしいわ電子書籍で。

サクッとよーわからままで環境設定すませて本題に行こうとした矢先に出鼻をくじかれ、linuxとかubuntuvirtualboxvagrantの働きとか用語や使い方について理解しようとしている。これはなんだ?ああなるほど、これはわけわからん、なにいってんだ?ああ、さっきのはそういうことか?いや、ちがう・・?とか頭が忙しいので退屈は感じない。ただ頭が常にイライラしている(やったとおりに動かないから)ので穏やかというわけじゃない。

明日また最初からやるか。

 

 

・今日ポケ

地元でレイド。

風がクソ強い。

 

・今日みた動画

www.youtube.com

以上

 

1年前

 

kusomamiren.hatenablog.comそういえば渋谷のブックオフも潰れたなぁ。

 

2019年04月04日クソ散歩 ~早寝早起き~

昨日の夜は寒すぎて午後10時前に寝た。

ぐっすり9時間くらい寝られた。

昨日とは別人のような体のパフォーマンス。

 

 今日。

仮想マシンubuntuの設定で時間を食う。

でも解決策を探して試行錯誤している時間は濃い。

漠然とただ具体的目的のない抽象的な勉強をしている時の退屈な感じがない。

解決の一瞬の百倍以上の時間悩んでときにイライラする。

逆に言えばそれだからこそ解決のときは飛び上がるほど嬉しいんだけど。

 

そういえばポケモンGOでも似たようなことがある。

色違いの確率が低ければ低いほど、苦労の時間は多いが光った時の嬉しさは一入(ひとしお)。

その一瞬の快感のために、またその苦行に自ら自分を投入する。

別にポケモンGOに限らず苦行が好きな人はその一瞬の快楽に魅せられているんじゃないだろうか。

 

・今日ポケ

午後7時くらいか亀戸のハナマサまでりんごを買いに行く。

しかし、レイドすること自体頭からすっぽり抜け落ちていた。

家に帰ってから近場のレイドを探すもなし。一応みんぽけで調べたら運良く家から見えるギリギリの範囲外に一箇所見つけた。10分くらいで行けるのでそこでレイドしてオーケー寄って帰宅。

オリジン捕獲成功。しかし運だけでのゲット。赤枠の中に一度も入らなかった。キャタピーとかの間合いの伝説バージョンのような感じで非常に苦手。iPhoneSEだと画面が小さくて微調整が難しい。昨日の片指投げも全然真ん中にいかないしどうしたもんだろう。卵からリーシャンなるポケモンが出てきた。

 

以上

 

1年前

 

kusomamiren.hatenablog.comそういえばこの頃からか渋谷に行かなくなったのは。

もうあの渋谷通いは1年以上前のことになるのか。

 

苦労の元をとる

昨日からやっているプログラミング本の環境設定。

毎度のことになるけど今回もやっぱり設定で躓いてエラーを解決するのに4時間もかかった。

 

ネットワーク系の勉強は今まで何度かしようと思ったけど面白いほど忘れていく。DNSとかこれまでの人生で10回くらい調べたと思う。でももう忘れている。

 

結局Virtural BOXを再起動したらあっさり解決。プレビュー画面にubuntuの画面らしきものが表示されてなくて真っ黒で何かおかしいなぁと思ってたんだけどね。

 

と、ここまで環境を整える事前準備に相当な神経と労力を割いた。

 

はっきり言って超苦労した。だから、その苦労を乗り越えたあとに何もエラーが出ずにスムーズにスイスイ行程が進んでいくのが楽しくてしょうがない。

 

環境設定がノーエラーで順調に設定できてたら多分今頃飽きていると思う。

 

これって何かに似てると思ったら、発売日に新品で買うゲームソフトの感覚に近い。

 

発売日新品で買うゲームは高い。けど、金銭的犠牲が大きい分、元をとってやろうと言う気持ちもあり、変な話そのゲームに対して真摯な姿勢になる。でも中古で買う新しくないゲームは割といい加減な姿勢でプレイしてた気がする。多分これは子供時代特有のもんだと思う。(お小遣いに対してゲームの値段が高すぎる)

 

それと同じで今回の苦労も苦労の元をとってやろうという気がしてきた。本代もかかってるし。

 

2019年04月03日クソ散歩 ~末梢がやばい~

なんか今日も寒かったなあ。

ずっと日中は家で過ごしていたけど、手足の先端が冷えすぎて血がいかなくなっているみたいで、凍傷の感覚になってやばかった。ずっとあぐらで足の先端をふくらはぎと太ももの裏に挟んで温めていた。もちろん靴下は履く。水分で靴下が湿るので時折ドライヤーで乾かしたりした。手も薄手のいつもの手袋を装着。

足の親指の一部に紫色のあざのようなものがある。触ると痛い。これやばいんじゃないのと思って調べたら1ページ目にチアノーゼとか書いてあって開いたらコンテンツが何もなかった。ただ、バナーに糖尿病という文字がありドキッとする。糖尿病は俺が最も恐れる病のひとつだからだ。でも、明らかに異常に冷たいのでしもやけとかのほうだろう。そう思いたい。

 

・新しいことをはじめる

作業用BGM(特に作業してないんだけど。)に藍上さんのためにならない話をこれまで流していたけど、今日はずっとYoutubeにあがってる環境音をBGMにしていた。

Pythonスクレイピングをするコンセプトの詰み本を始める。

午後くらいからその設定をしていて今日中に終わらなかった。

午後6時前にWimaxの速度制限でダウンロードしたいものができなくなったため。

Windowsで仮想環境を作る必要があるらしく、各種ソフトのインストールや設定をしていた。$←本のコード部分に書いてあるこのマークがコマンドプロンプトの意味でこれは入力しなくてもいいことすら知らなかった。

VirtualBox(バーチャルボックス

Vagrant(ベイグラント)

をインストール、設定。これからゲストOSにSSH接続(遠隔操作のため接続)するというところ。

それぞれどのような働きなのかさっぱりわからない(ベイグラントストーリーなら知ってる)し用語もその都度ネットで調べる。

でも本で実感のない役立たずの知識を仕入れる(プログラミングの本を実際に手を動かさずに読むとか)より、手を動かしてみて実際の挙動を確認しないとだめだな。目だけだとまるで意味がないしつまらない。手を動かしてるとあ、本当に動いたとか、動かない⇢ああこうするのか⇢なるほど、とかいうプロセスがあってそれが刺激になる。その刺激は脳への定着を促してそうだし、実際覚えもいいはず。

 

・今日ポケ

仙台堀を散歩。

外に出ても寒い。

散歩していても足の末端にあの感覚が。

歩きながら足の先端や手の指を不必要に動かしまくったり力を込めたりする。

そもそも体の中心部分からして寒い。ブルブル震えながら歩いた。

でもなんだかんだで1時間も歩いていると血が通いだして末端が暖かくなってくる。足の指先が温かくなってくると手の指先もそれにつられて温かくなってくる。

そういえば昨日の夜お風呂入ってから1時間くらい楽器練習やネットをして寝ようとしたら足が冷えすぎて1時間くらいしても温まらなくて寝付きが悪かった気がする。

風呂入ったら速攻布団に入って眠ろう。

 

地元ジムでレイド。今日からギラティナオリジンというやつ。

距離が近い。デオキシスより近いかもしれない。

距離が近いので片指投げでも届いた。CPは2028で最高が2105なんで調べずともクソ個体なことはわかっていたので適当に投げてたら最後の1球で捕まった。(全10球)

オーケーで買い物しようとしたら財布を忘れたことに気づく。

帰りにずっと2105の語呂合わせを考えた結果、日東駒専に落ち着いた。2 10 5 ません。(くだらねぇ)

最近50%の確率で家出るときに財布を忘れる。

海馬とか前頭葉に障害が出ているのかもしれない。

 

以上。

 

1年前

kusomamiren.hatenablog.com

 コモディイイダの前を素通りした日。なぜか覚えている。

幸せについて本気出さないで考えてみた

 

ハイネスさんの動画見たんだけど、人は幸せになるために生きるというようなことを言っていた。(最初しか見てないけど)

 

幸せってなんだろう?

風呂場の中でちょっと考えてみた。

 

・積極的幸せ

それは欲求の成就。

食欲、性欲、睡眠欲、自己承認欲求が充足されれば幸せを感じる人が多いんじゃないだろうか。ゼロからプラス方向の幸せ。

 

・消極的幸せ

不安の解消や不幸中の幸いなど。例えば交通事故で跳ね飛ばされたけど骨折すらしなくて幸せとか。不幸なんだけど相対的には得してる(マイナスになるはずがマイナスにならなかったとか少ししかマイナスにならなかったとか?なんか変な表現)ときも幸せなんじゃないだろうか。

 

積極的幸せはなかなか充足させるのは難しい。

特に大きいものになればなるほど難易度は上がる。

例えばいい女は競争率が高いからその女と付き合えたひとり以外はみな不幸になる。

大きい幸せを望む人が多ければ多いほど不幸は拡大していくような気がする。

 

それよりささやかな幸せをかき集めるほうが幸せの総量が多い気がする。

ひとつひとつは小さくても、チリも積もればで大きくなる。

ひとすくいでゲットした大きな幸せはそれを失った時すっからかんになるけど、少しずつかき集めて溜めた幸せはそうはならない。

 

昔読んだ本に自信をつけるためには達成容易なタスクを数多くこなし小さな勝利をコツコツ積み重ねることが肝要とか書いてあったけど、幸せについてもそれと同じことが言えるんじゃなかろうか。

ささやかな幸せを数多く感じる。それを積み重ねればその人の人生は幸せの方が大きくなると考えるのはいささか単純だろうか。

 

でも穿った見方をすれば小さな不幸というのも積み重なると考えることもできる。

最も幸せなのは、自分が何に対して幸せを感じるかを理解していて不幸をさほど不幸に感じない人だろうか。簡単に言えばプラス思考な人?

幸不幸なんてその人の捉え方次第で同じ出来事でも変わってくるし。

半ばひろゆきの受け売りだけど。

 

あとひろゆきを見ていて思うこともある。

この人がこんなにある種達観しているのは壮絶な過去を隠し持っているからなんじゃないだろうかと勘ぐってしまう。

考えすぎか。

2019年04月02日クソ散歩 ~寒い日~

朝7時に目が覚めた。

午前中は日が照っていたので洗濯物を干した。

 

今日も一日中ネットサーフィンをしていた。

iOSとかアップル製品について調べていた。

いつの間にかAirPods2も出てたらしい。

iPad MiniAirPods の新型が出た。

でもiPhoneSEの新型が出たという話は聞かない。

噂の域を出ないけど発売するんだろうか。

もうでないと思ってたMiniの新型が出たから多分出ると思う。なんとなく。

 

食物繊維とチョコレートを食いすぎて腹を下す。

 

 

・今日ポケ

外に出て糞寒い上に風もクソ強い。

2月かってくらい寒い。

 

午後8時くらいに近所でレイド。

珍しく10球。ブーストギラティナ

尽く手元がクルって赤枠からはみ出しまくる。

エクセレントはおろかグレートすら1回しか枠に入らなかった。

 

半ば絶望の中運良く捕獲成功。

 

その後仙台堀を散歩。

風の強さは更に増してダウン着ていったのにそれでも寒かった。

 

帰りにオーケーで少し買い物をして帰宅。

 

以上。

 

1年前

kusomamiren.hatenablog.com

 平井ブックオフがまだ健在だったころ。

まさかその4ヶ月後くらいに潰れるとはこの頃は全く思わなかった。

ローマの休日は直近で見た最後の映画だ。

 

心から愛さないとマニアックにはなれないのかもなぁ

散歩の帰り道に思った。

 

藍上さんは言っていた。

いろんなものに手を出しては、ひとつひとつが薄いというかなんというか・・・

 

俺もこの傾向がある。

いろんなものに手を出しては飽きて、忘れた頃にまた戻ってきて・・・というパターンもある。

 

ひろゆきがちょっと前の放送で話していたイチローと松井の対談の話。

すごい細かいマニアックな野球トークをしていたと話していた。

 

ダ・ヴィンチゲーテのようなマルチな天才以外は一つのことすら極められない。

というか本物は極めたなんて決して口にしないだろうし、生涯勉強しているだろう。

 

それなのに凡人である俺があれこれ手を出してもすべてが薄くなるし、味すらしないだろう。

 

それで、好きでもないことで稼げそうな分野に進もうとする。

でも好きでもない女を愛せないように(恋愛したことないけど)好きでもない分野を愛することはなかなかに難しい。

最初は好きじゃなくてもやってるうちに好きになっていくパターンもある。

でも俺の場合、プログラミングは未だに好きになれていない。

好きになっていれば、ポケモンGOみたいに一日中プログラミングのことを考えているはずだ。

 

ポケモンGOは好きなんだろう。現在愛しているんだろう。

一日中ポケモンGOのことを考えている。

しかしポケモンGOを愛してもお金にならない。

アフィサイトやYoutubeでマネタイズする人もいるけど、俺はポケモンGOだけをしていたい。アフィやYoutubeという手段は愛せない。面倒だし手間もかかる。

 

ポケモンGOの知識だけ無駄に吸収している。

今日ニアバイにフワライドのシルエットが2匹あったんだけど、ああ強風ブーストだから湧きやすいのか、こないだ強風の日フワンテそういえばいたなぁ~とかだれから直接教えられたわけじゃないが、前に得ていた知識と経験を融合して一つの事象の発生を推測している。

こんな応用めいたことプログラミングじゃできない。

でも本当にプログラミングが楽しくてしょうがないということになっていたら、きっと今頃いろんな知識を積極的に吸収してかけた時間分の蓄積と融合させてコードをすらすら書いたり、プログラムを完成させたり、問題を解決したり、面倒なことを自動化しているはずだ。

 

好きなことで生きていくというのはそう考えるとすごいことだ。ちょっとありえない。

だって仕事ってみんなやりたがらないものだから、その対価としてお金がもらえるわけじゃん。やりたがらないことは嫌いなことだから、嫌いなことで生きていくのが普通なのに。でもそういう人は少数ながら一定の割合で昔からいるだろう。顔がよかったり、頭が良かったり、親が金持ちとか、強運の持ち主だったりとか。

 

でも俺はそういう特殊な境遇も才能もないわけだから、好きなことで生きていくということを思うことすらおこがましいし、無意味なのかもしれない。もう昇給も出世とも縁がない俺はバイトで働きながらワンチャン狙い続けるというのが最適解だろう。でも実際はバイトして慎ましく暮らせる程度の金額で満足してしまいそう。帰ってきたらのんべんだらりと過ごして寝て家にいるときはそれなりに幸せ・・・とかそういう人生になることは想像に難くない。

 

そういう生活も悪くない。

けど、マニアックには一生なれないだろう。なる必要などないから。ワンチャンも一生起こらない。でも起こしたいとは思ってる。行動が伴わないだけで。行動を伴わせるためにはやっぱり打算なき愛が必要な気がする。打算(=金が絡む)があると俺はプラモデルを作り続けることができない(ひろゆきのプラモデルとお金の話)。あくまで俺の場合。

お金を愛していてお金儲け大好き!お金儲けが前提として先にあってそのためならどんな手段も愛せます!努力を努力と思わないでできます!というような人はお金に対してマニアックと言えるかもしれない。お金を稼ぐプロセスの構築や発見、工夫、調査等が好き。それを愛している。

 

前までは、そういうタイプの人間に自分を変えよう、先に言った好きでもないことを好きになるように自分を変えよう、そうすれば好きなことしながら食べていくことも可能なんじゃないか?と身の程知らずに思っていたけど、そういう無理をすること自体が不幸せで性に合って無くて好きじゃない。

そういうことをすることを愛せないということに気づき始めている。

 

だから、今の自分の、今の性質のままで楽しいと思えることを模索していくことになるだろうか。

でもそうなるとポケモンGO一辺倒になっちゃいそうだ。

 

それにしてもマニアックじゃない=稼げないという図式はどこで刷り込まれたんだろう。視野がせまいな。