オーケーで大層なパッケージのりんご買う。
訳あり以外のりんご買うのいつぶりだろう。
閉店間際のオーケーの客層は仕事帰りのリーマンが多かった。
今日は英語をやらなかった。
日本語でPythonの基礎をやった。
さぁこの問題にチャレンジ!というような章末の練習問題と向き合うと今の自分の実力が残酷なほどわかる。
てんで駄目。
投げ出して飛ばして次の章に行きたくなる。
というかちょっとした応用のサンプルコードが出てきた時点でわからなくなる。
そいういうときは「ちょっといきなりハードル高くないっすか?」と著者に問いかけたくなる。
と同時にみんなは普通にわかるんかなぁ~と自分の素養のなさに疑いの目を向ける。
膨大な時間を費やしても、紙にいちいち変数の操作を落書きしたりしないと理解がおぼつかない。それでもまだあやふやというのも日常茶飯事。
難しい。
いつもはここで投げ出していたが、いい加減目覚ませということで向き合ってみる。
一旦考える。
最初に考えて絶望的な心理状態の中なんとか
非力さ、何も出来ない自分に焦燥感。
こんなできの悪い子いねーわとおもいつつ、
稚拙極まりないけどカンニングしながら形にする。
解答見るとスマートで自分のは無駄だらけ。
論文問題とか数学の問題を解く時のあれに似ている気がする。
今までの人生俺が最も嫌悪してきた勉強。試験問題。
穴埋め問題とか、これはなんですか?じゃない、自分で最初から最後まで組み立てないといけないコンストラクト的なやつ。
英文は読めるけど、自分で文法ルールに従って英作文を書いたり、話したりすることができないことにも通ずる気がする。
プログラミングはコード読みも重要だが、そもそも完成したプログラムを組み立てられないとなんちゃってプログラマとすら名乗れない。
今までの知識を結集してプログラムを作ってみよう!みたいなコーナーになるとげんなりする。
そんなもん無理だからコードと解説とにらめっこするわけだけど一苦労である。
時間も1時間は余裕でかかる。
変数やリストの名前がいっぱい出てきて、記号だらけでわけわからなくなる。
組み込み関数のコマンドの内容もすぐ忘れるかあいまいな理解のままになっている。正確に理解していないと()=とかの無機質な記号の威圧にやられて頭がこんがらがる。本は何冊か読んだけど、体系化出来てない証拠だ。
ちょっと長めの応用問題のコードの意味を理解するのにこんな時間がかかるのに、これ以上のものを1から自分で構築することなんて無理な気がしてくる。
本当にアプリなんて作れんのかとすら思えてくる。
写経するにも見ないで書けるようになるまでやらんと意味がなさそうだ。
もちろん理解が前提で。細かいところまで。正確に。
理解のために紙に書き、見ないで書けるようになるまで写経。
それをこなす。
だけじゃなく、応用問題に対して何も見ず1から組み立てようとすることも忘れちゃならない。
面倒くさいし、時間もかかる上に結果的に何もできんかった・・・となる可能性のほうが高いけど、今までの人生で逃げてきたから圧倒的に足りなかったこどだ。
とにかく大量の時間を投下するしかない。
ああ、また1時間くらいブログで時間を無駄にした。
こんなん書いてる暇あったらさっさとやれよって話だわな。
以上。
1年前
この日比谷から徒歩で錦糸町へ行くルートも選択する回数が増えたためか、道をほぼ完全に把握しつつある。GPSがないとまだ不安だが、あと1,2回通れば最短コースを覚えるだろう。
今では庭も同然です。