友達ができてもう1ヶ月くらいになる。
くだらない話がメイン。
気づけば午前3時という感じの日もあったりする。
そのやり取りの中で一度だけ彼は俺に怒ったことがあった。
俺はなんの気なしに「散歩しまくったせいで2年間を失った」みたいなことを言ったらかみつかれた。
本当に失ったんですか?と。
怒ったというのは言い過ぎだけど、詰め寄られた感を感じた。珍しく。
ちょっと考えた。
2年くらい都内を散歩しなかったら俺はいろんなことを知らずじまいだった。
働けばもっといろいろ知れただろうに・・・
というのは置いておいて、
仮に引きこもったままの2年間を過ごした場合と比較して、知り得なかった様々なものを俺は得ていたのではないか。
確かに勝手にカップルとか見てすごい惨めな感じや孤独感を感じたこともあった。今でもそれはある。
しかし、結婚して子育てするのがすべてではないと彼は言っていたし、ファミリーでごった返している盆踊り大会の会場でかき氷を食べたり「おひとりさま」を満喫しているようだった。
彼と比較して俺はどうだ?
だいたい自己憐憫になって、楽しみよりも悲しみのほうが勝ってしまう。
気の持ちよう←わかってるのに自分の首を締める方向性の考え方をしてしまう。
確かに彼は今までちゃんと外で働いてきてそれなりに友達や家族との付き合いなんかもあって俺とは歩いてきた過去が違うというのもある。
ただ、ここで俺と彼は違うんだ・・・という考え方をしてしまうとまた嫌な方向に進んでいくことは明白だ。
そういう比較とかじゃなくて、自分の思うがままに、したいこと、楽しみたいことを「比較」より優先するためにはどうすればいいか?
いままでさんざん考えてきて答えはもう何回か出している。
以前、さらに上との比較というアホな結論に至ったけど、それもまた比較である。
それにさらに上と言っても、芸能人クラスになると逆に現実味がない。
どんよりするのは若いイケメンとかわいい娘が多い。
絵に描いたようなカップル。
でも東京歩けばそれなりにいる。
そいつらが結構なレベルの上級比較対象なので更に上との比較は破綻する。
どうも俺はズレていたようだ。
でも多分本能的には可愛い娘と歩いてみたいんだと思う。
それは俺には無理。だからそれができている彼氏彼女らを見るとどんよりするのだろう。
一度でもそれを経験すれば一皮むけることができるかもしれない。
経験さえすればいい。
別れて一人になってから一人街をさまようときに以前と比較して気持ちの上でどう変化があるのか多少興味がある。
それができないのが残念だ。
しかし、一方で松田聖子のように電流が走るような一目惚れ体験はなくなった。
多少可愛くても、まぁかわいいな・・・くらいで冷静だ。
それより彼氏と歩いている彼女を見るとだいたい笑顔なのでドキッとともにげんなりすることはある。
その笑顔を自分に向けてくれる存在がいない悲しさというのもあるかもしれない。
あれ?結局何について話してたんだっけ?
まぁいいや。
今まで臭いものには蓋ばりに避けてきたことかもしれないけれど、結局のところ俺は彼女なる存在を得る体験をしない限り、いつまでたってもあの街を歩いているときに感じるモヤモヤを払拭できやしないということだろう。
でもいいなぁと思う女は殆どいない。
ただ、体型や顔だけで俺は判断しているので、最初は興味なかったけど共同作業とかをする過程でだんだん心惹かれてく~みたいな感じがわからない。
女の場合の男を好きになるパターンは大体こういうのらしいけど。
↑の太字がすべての結論だろう。
解決方法は彼女を作る。ただそれだけ。(とりあえず)
以上
1年前