クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2023年03月28日クソ散歩 ~日比谷図書館まで~

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・散歩

日比谷図書館まで。

 

昨日今日とひろゆきの切り抜きを久しぶりにやっていた。

俺の人生に無駄な作業(1円も稼いでないから)でひろゆきの話にも以前ほど興味がなくなっているので若干苦痛である。たまに笑える皮肉を言ったりするところくらいしか面白くない。まぁそれは以前からそうだったけど。

 

しかし最近また醜形恐怖の気が出てきた。メンヘラもいいところ。

精神的にきついなぁ。

街より人に対して注意がいくというのもなくなったりまた発生したりを繰り返す。今後もそれは続く。俺が死ぬまで多分。

身体的コンプレックスもまた気になったり気にならなくなったりを繰り返す。

人と関わるようになり指摘される場面があったとするとおそらくまたスイッチが入って気になりだす。

人と関わる確率が多くなるとその発生確率も多くなる。

今は人と関わっていないけど自分で勝手に発生している中さらに頻度が上がることだろう。

 

今日はヘラっていたので学生時代に外見を言葉でつつかれたことをぼんやり思い出した。あの恥かいたとか絶望を感じたとかどうせとかそういうどんよりとした感情。焦燥感。

もうこの状態になると自分のことで手一杯になり、周りが見えなくなる。

 

あと最近無意識にメンタリストダイゴの動画を聞いているのも悪い兆候かもしれない。

その動画の中に人は自分の内面コンプレックスを吐露するのはいいけど、外見コンプレックスを吐露するのはよくないというトピックがあった。

 

理由は外面コンプレックスを吐露されたことで、吐露された側は反応に困ってしまう。目が細いことをコップレックスに感じている人をぱっちりお目々にすることは周りの人にはできないから励ましたりコンプレックスを分かち合うことができない。

 

一方内面コンプレックスは、わかるわーとか俺たちがいるじゃないかとかどうしようもできない外面コンプレックスと違って周りからいかようにもアプローチすることができる。弱みを見せると信用されたりとか好感度が上がるとかそういう効果もあるとかなんとか。

 

このことで再確認したのは、自虐的に自分の外見コンプレックスを吐露することはあまりしないほうがいいのかなと思った。自分がそう思いこんでいたとしても周りからは案外そう思われていないという場合もある。そういった場合、言われてみれば・・・的なことになり墓穴を掘りかねない。更に弱点を晒したことでガンガン突っ込まれたりからかわれていらぬ赤っ恥をかいたりといいことなんてない気もする。

 

たまにネタにしてる人もいるけど、心の中で彼、彼女は泣いてるんじゃないかと俺は思っちゃう。それは本人のみぞ知ることだから邪推になるけど、俺はどこか無理して明るく振る舞っている人に見えちゃう。

 

これから俺の人生は益々お先真っ暗になる。今でさえ金が続いているからなんとか回避していられているけど、常に心のどこかで満たされないものを感じている。だから何かに没頭している時が相対的に幸せである。その満たされない感情を忘れられるから。

 

しかしそれはごくごく短い時間である。本当にすべてを忘れるくらい没頭している時間なんてそんなにない。むしろ没頭しているフリをしているときのほうが圧倒的に多いかもしれない。マルチタスクをしているときなんてまさにそう。どっちつかずの状態で時間の無駄。メンタリストダイゴはこの状態を時間汚染状態と言っていた。

 

かと言って俺はマルチタスク歴20年くらいなのでもう染み付いている。シングルタスクはむしろストレスだ。どこでシングルタスクれるかというと外だ。家の中だとマルチタスク要因が大量に控えている。外で家電店のペンタブで空想の赴くままに絵を描いているときが1番至福のときかもしれない。

 

楽器練習は没頭できる時間が思ったより少ないし、進みが遅い。マルチタスクしがち。理想と現実のギャップに苦しむとか普通に楽しいより辛い。楽しいと思うようにしているけど。

 

おっと長くなったこのへんにしとこう。また無駄な時間を消費してしまった。

 

 

以上

1年前

 

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