今日は日中外に出なかったけど家の中に居ても真冬並みに寒い。
温度的にはそうでもないのかもしれないけど、温暖な日々の中急に寒波がくると体感的にすごく寒く感じる。
散歩は午後9時半くらいにまた今日もチョコレートを買いに行っただけ。
ジムでパスもらうはずだったけどバトルやったら忘れた。
しかしとり忘れた一番近いジムにパスを取りに行こうとする気がしない。
一度通ったところに再び行くことに作業感を感じる。
なので距離的にはちょっと遠くても違うジムに取りに行きたいと感じる。
散歩中に聞いたひろゆきのプラモデルの話。
ただプラモデル作ってくださいねーと言われたグループは作り続けるけど、一方のグループにはひとつ完成させるごとに500円上げますよーと言って、実際に上げて、そして次からは上げませんと言うと作り続けることをやめる、という話。
楽しみが労働という認識に変わるとやる気がなくなるという実験。
なんかちょっと似てるなと思った。
・今日ポケ
初めてコミュデイさぼった。
以上。
1年前
いつまでこんなに散歩してたっけ?
去年の10月くらいまで?プログラミングを本格的にやりだしてからだろうか。
といっても写経だけど。
一から補助輪なしで一つのプログラムを作れる日がくるんだろうか。
それの完成品は稚拙なことは間違いない。
そもそも需要はあるのか?
ないとしたらそれに費やした時間は無駄になる。
貯金尽きたら家を手放す選択をしない限り一生バイト生活(家があると生活保護できない)だし、ひたすら好きなことをやったほうがまだマシなんじゃないか?
でもその好きなことというのは、ぐーたらして食っちゃ寝、ネットとか見たりすること。極めて受動的。
サービスを受ける側は楽だ。提供する側は面倒くさい。だから働きたくない。働いている人はある場所ではサービスを受け、仕事として誰かにサービスを提供している。直接的にも間接的にも。
誰かにサービスを提供したい、楽しんでもらいたい。自分の作品で。
という気にならない。
これは人との接点が乏しいからだろうか?
例えそうだとしてもお金という動機づけで頑張れる人もいるだろう。
でも俺はそんなに金稼ぎにアグレッシブじゃない。
金!金!言っている人に憧れる。
そういう人はなんだかんだで金を稼ぐんだろう。
頭使って稼ぐ人もいれば、体を使って稼ぐ人もいる。(肉体労働)
純粋に自分の欲望を満たすため、生活水準の向上を目的とする人、
サービスを受けた側からの感謝が嬉しく感じる人、自己承認欲求をそれで満たせる人、
あとは、きっと守るもの(人)がいる人。
それが作業感からやる気をひねり出すんだろう。
それがないから、ひねり出す必要がないし、そもそも俺は金を稼ぐ強い欲求に欠ける。
クリエイティブな仕事に従事していて、作業感を感じない人、働くことそのものが大好きな風変わりな人も少なくない。
そしてそれらの人の大半は誰かと仕事をしている。
でも、俺は自分だけ。
自分だけの世界で完結すると刺激も影響も危機感すら薄れてくる。
ただ漠然とした不安感を抱えながらも生ぬるいので不幸せという感じはしない。
元来ぼっち基質だから、ひとりだけでいることへの寂しさとかもない。
しかし決定的に何かが欠けている、足りない気は常にしてる。
ぬくぬくやっているもんだから、それを探す気もない。
切羽詰まらないと、尻に火がつかないと動かないタイプだから。
新しいことを初めようとする人は何がきっかけなんだろう。
結局は外部からの何かな気がする。
もともと自分の中にあるものでも、きっかけそのものは外部からの何かな気がする。
背中を押されたり、ふとした気づき。それは外の世界にいる他人からというのが多い気がする。
でもネット越しだとそういう強い何かは発生しない。少なくと俺も場合は。
それは今の俺が証明している。
ネットのコンテンツは不特定多数へのもので、俺だけに発信されたものではないから、とかそういうことだからだろうか。
ネットよりリアルだと受ける衝撃や影響は何倍にもなるんだろうか?
そうやっていい意味でも悪い意味でも人は外の世界の他人により変えられ、変わっていくんかなぁ。
変わっていないつもりでも、外からみたら変わっている。
そんな感じで人は変わっていくんだろうか。
いい意味方向にも悪い方向にも。
それがある意味大人になっていくということなのかもしれない。