引きこもりを脱してからというものの、着るものに興味がわいた。
親が買ってきた服を何年も着てボロボロのアウターや伸びきったTシャツで外をウロウロするどころか、電車やバスに乗っても気にしないという悪目立ち間違いなしの20代だった。
ダウンも着膨れして着ぐるみみたいになるスーパーの2Fで売ってたものを親が買ってきて冬に着ていた。しかもオーバーサイズ。いや、Mサイズなんだけど明らかにLサイズという設計。USのMではないはずだ。スーパー2Fで売ってたから。
そのダウンも数年前までは着ていなかった。ぜんぶ重ね着で済ませていた。
肌着の上にトレーナー
トレーナーの上にジャージ
ジャージの上に一張羅の春物のアウター
首元はTシャツを背中洗うときのタオルのようにして巻きつける。
外にでる時はこんな感じだった。
しかし、それはとても恥ずかしいことだということを知る。
外に出て行動範囲を広めてみて服装が人と比べて浮いている事実を自覚した。
なぜ、今まで平気でいられたんだろう。
きっと何かが変わったんだろう。
どこで変わったかはわからない。
別にエルメスに会いに行くわけでもないのに。
脱オタならぬ脱ヒキ。
去年は問屋街という楽天のサイトでTシャツをいっぱい買ってアウターも新調した。
ボロを新品に替えてやっとかろうじて都会を歩ける土俵に立った。
ださいがルンペンチックなルックよりマシ。
服装に興味を持つと渋谷原宿あたりの若者はすごいなあと普通に思う。
オサレだし、自分に合った服装を自分で選んで着こなしている。
奇抜なファッションは馬子にも衣装になりがちだが、そうはなっていない。
彼らはどこでセンスを磨くのかさっぱりわからない。雑誌とかか?
しかし俺は30代だというのに、若者の服装に目がいってしまう。
失われた時を求めてしまうが、10代に戻ることは出来ない。
俺は30代だから、30代のファッションをしてなんぼ、というところまできてしまった。
10代の時にできる格好、20代の時にできる格好はできなくなった。
できる事はできるけれど、俺の場合は余計なことを考えて(浮くだの痛いだの)しまうからできない。
年齢は取り戻せない。
ファッションに限ったことではないけれど、その時にしかできないことこそをその時に経験できるだけ経験すべきなんだろう。若い貴重な時代の大半をひきこもり状態で消費してしまった人間の後悔。現在進行形の今を全力で楽しんでいる人間がリア充と呼ばれているのかもしれない。
ちなみに上記の感想は男性に対してのもの。
女性のファッションは興味もないし、そもそも女性自体見ないようにしている。