・散歩
亀戸→錦糸町→両国→浅草橋→秋葉原→神田→大手町→有楽町→銀座→永代橋→門前仲町→木場→東陽町→帰宅
散歩しながら暗黒放送をBAN明けのから聴いていた。ミドリアンで嫌いな生主でひろゆきを上げる人が割といた。前では考えられなかったことだ(ひろゆきはそういうカテゴリじゃなかったので挙げる人がいなかった)。やっぱり世間的にもブレイクしてんだなぁと思った。
【日本人侮辱問題】ひろゆきに喧嘩を売られた言語学者の小島剛一氏(在仏53年)がアンサー記事を更新 完全論破してしまう
5CHにこんなスレがあった。そこではひろゆきまた論破されたとかそういうレスばかりだった。こういうのを見てしまうと切り抜く気が起きなくなる。正直。
前にも似たようなことがある。20年くらい前に浜崎あゆみに3ヶ月ハマっていた17歳くらいのころ、長瀬と交際が発覚。それまでCMの切れ端すら録画しようとするくらい彼女にハマっていたのにピタッとその行為が止まった。
元AKBのオカロが広井王子の家にお泊りしたときも、スッっと俺の中を冷めたものが通り過ぎ、熱を奪い去りAKBING!とかいいともの録画を全消しした。
ひろゆきの場合テキトーに絡んで返り討ちにあうことはよくあることなので切り抜きやめようとそこまではいかないけど、自分について考えてしまう。
俺という人間は自分がハマっている人間に対して一度冷めた感情を抱くとそのままその人から離れていきたくなる。
興味やら執心やらが根こそぎ消失し離れていく。
人間関係は全くといいほどないけど仮に人付き合いをしたとして、その人のそういう部分を目の当たりにした時にあっさりさよならするタイプなんじゃないかと思う。
すぐに切るタイプ。
というか必要性を感じないんだよな。人間関係の。
一人でそれなりに楽しくやれることがわかっちゃったから。俺はどうやら寂しがり屋じゃなさそうなので人間と絡むことのメリットよりデメリットのほうが大きいと感じる。寂しいよ~と夜に涙を濡らしたことは人間ではない。犬ではあるけど。
仮に同性やら異性やらと付き合うことをイメージしても、その背後にある自由の拘束、責任、義務感、相手と自分との身分差のほうが遥かに大きく感じられて、ああやっぱ人間関係ないわ・・・と思ってしまう。仮に異性と付き合うにしても無職のおっさんと付き合うって時点でその人の人生にとって無駄以上のマイナスだと普通に考えるとそういうことになる。
まぁ取らぬ狸の皮算用ってやつだな。
だから人間関係はないのが気楽でそれがデフォルトとなっている。高齢無職がそれを更にアシストする。この状態だと蔑まれる、哀れな目で見られる人間の割合のほうが多かろう。
若い頃に束のようにあった可能性が今は一本。一人で生き貯金が尽きるまで楽しむ、尽きたら死ぬ、あわよくば生活保護、もうやることは決まっている。可能性は一本に絞られた。
余計な可能性について考えて苦んだ若い頃よりむしろ気は楽かもしれん。今思うと可能性が束のようにあったところで当時の俺は結局何もしなかっただろう。だから若い頃に戻ってやり直したいとも特に思わん。可能性は最初から一本だった。若い頃に見えた可能性の束は幻に過ぎなかった。今ではそれがわかる。
俺と同じような感性の持ち主と馴れ合いしたいとも思わない。
前は他人と楽しそうにおしゃべりしている人を見て何が楽しんだろうと思っていたが、今は世の中にはそういう俺と感性の違う人間が大部分でただそれだけのこと。俺とは関係ない人間のことを気にしなくなった。
そういえば今の俺は素でレジの人とやり取りしている。それからというものの声が小さいと聞き返されることもなくなった。自分がどう思われるか気になってしょうがないFF8のスコールみたいだったころは心理的に謎のセーブがかかってよく聞き返されたものだが、底辺になってプライドがどっかいってからはそれもなくなった。
街を心理的圧迫でうつむいて歩くことも、冬場に決まって外出るたびに出ていた蕁麻疹もいつからかでなくなった。
ということで俺は人間関係とか自分が他人からどう思われているかとかそういうことから解放されて結構な数の恩恵を受けている。
・切り抜き
数個。
以上
1年前