・散歩
ららぽーとらへんを散歩した。
俺を含め不要不急そうな連中と働いてる連中が混在する街。まぁどこもそんなもんか。比率の違いはあれど。
昨日仮想空間で生きていると言った。
でもよく考えたら街の人も同様なんじゃないかと思った。
俺には例外はないが、彼ら彼女らには例外がいてそれが深い仲の人間というわけだ。
ひろゆきの雑談の質問で、一目惚れしたんですが店員とどうやったら深い中になれますか?というような十番煎じくらいの質問が5回に1回くらいの割合で今回もきていた。
回答は毎回しょーもないことでいいから話しかけて、その店員の中の君という存在を客から人間にするというものだった。
俺は昨日店員はちょっと性能がいい機械だと言った。同様に店員も客のことを機械と思っているに違いない。そして知り合いの客がくると対応が機械のものから人間のものへとスイッチする。
俺はわからないが、人間関係というものはおそらく機械or人間という2つに分けるという単純なもんじゃなく、親密度なるパラメータが各々の人間が各々の人間に対して内部で設定されてるんだろう。
親、親友、恋人とかは高
親戚、友達とかは中
同僚、クラスメイトは低
赤の他人は無
という感じで。
俺は無しかいない。家族に対しても低だ。
話はもどるけど、ひろゆきの話を聞いていて、よく見かける人に度々話かけていけばお互いのパラメータをアップしていけるんじゃないかという発見があった。当たり前のように思うかもしれないけど、長期間隠遁生活をしているとこんな当たり前のことがわからなくなる。
バイトとかして強制的に誰かと組まされる状況に追い込まないと知り合いはできないもんと思っていた。
そういう状況になれば共同作業者を背景とは言っていられないだろう。
そしてやっぱり一人はクソなやつがいてまた人間を嫌いになる。
もう目に見えている。
と諦めている。
人間関係を諦めている。
まぁ逃げだわな。でも人間関係から逃げれる今は逃げるわ。
以上
1年前