・散歩
朝7時半~午後2時。アキバまで往復。
もっと先に行く予定だったけど帰ってくるのが面倒なんでアキバで折り返す。
猿江公園で飯を食う。周りは暇人でベンチが埋まっていた。
遠くのベンチに座っているジジババが1分くらいこっちを見ていた。
にしてもやることがない。
今思いつきで誰かと会話してみるのもいいかなと思った。
その誰かは俺のような高齢無職、世間的にはクズとされる働きもしない連中。そんな奴らとなら後ろめたさもなく会話できるんじゃないか。
しかしそういうやつは多分だいたい俺の嫌いなタバコを吸う奴らなんだよな。
ってか認知症のジジババでもいいや。
無職な点についてまずいこと聞いちゃった的だったり、腫れ物に触るような、気の毒そうな顔をする色眼鏡で見てくる人はもう空気がおかしくなるので無理だ。
気の毒に思うな。お互いどうでもいいクズじゃないか。働いてるやつも俺からしたら俺の人生に関係ないクズだ。
その場限りの使い捨ての会話でいい。
後々に続く人間関係のチェーンとかはうざいだけ。世の中の人は知り合いから毎日のように連絡が来る生活をしているんだろうけどすげーなと思う。
それもまた慣れなのかもしれんが。
何を伝えようとしてんのか?どうせどうでもいいことだろう。
寂しがり屋には需要があるんだろう。
でも一人の世界で満足な俺のような人間からするとそのくだらない伝達事項は蛇足に感じる。余計でしかないもの。
寂しがり屋とか人とのつながりがないと生きてけない依存野郎は俺がゲームとかで埋めている部分を他人からのくだらないメッセージで埋めてる。
きっとそんなとこだろう。
いつだか新宿の戸山公園やら戸田公園やらで全く興味のない話を猫好きのおばさんから小一時間聞かされたことがあったけど、ああいうんでいい。
俺の属性に踏み込んでこないそこらへんの石ころのような会話がいい。
会話とかいうのもたまたま思いついただけで別に積極的にやろうとは思わんけど。
しかし幸せそうだったり楽しそうだったりする街の奴らはやっぱり好きになれない。
あれを見て和むとか言ってる独り身の気持ちがわからない。
聞こえてくるカップルとかの会話も普通でくだらなくてつまらん落ちのないクソみたいな内容だしその会話のどこが面白いんだ?こんな奴らと話しててもきっとつまんねーんだろうなと思ってしまう。
なんで世の中の人はそんなに人とつるむのが好きなんだろう?
以上
1年前