・散歩
あー実につまらん。
人がうざくてしょうがない。
人と関わるのが苦痛ってのは人間一人の人生にとって相当なディスアドバンテージだ。
もうマイナススタートですべてがはじまるわけだから。
こんな苦痛な奴らと働きたくもない。
もう譲歩する気も失せてくる。
なんで俺の方から社会の方に合わせなきゃならんのだ。
アホらしい。
人間が好きなやつならこんなことも思わないんだろうな。
人間全般が嫌いだからもう想像するだけで気が滅入ってくる。
もういっそのこと人間やめたくなる。
生きていることだけがアホらしい。
なんでこんな自分の思い通りにならない世界に生まれてきちゃったんだろう。
東京は人が多すぎるんだ。非常に邪魔。
歩くのがクソ遅い老人の後ろに何も言わずに渋滞作ったりもうバカなんじゃないかと。
うるさいガキ、遅い老人、そういうのを微笑ましいなと思わないといけないのが社会。
アホらしい。
俺はそんなことこれっぽっちも思っちゃいないんだ。
うるさいもんはうるさいし、遅いもんは遅い。
こんなこともいえないこんな世の中はポイズン。
いやまじでポイズン。
溜まりに溜まって俺の体を蝕んでる。
もう人間を見ると吐き気がするから以前にもまして見ないようにしている。
あいつらなんで人と関わってあんな楽しそうにしてるんだ。
クソ。
もう人と関わることが楽しいとかそういう本能をお持ちの奴らはマジで得してると思う。
結局、外向的、内向的問わず人と関わることが苦痛でないということは人生にとって重要。
楽しい、もしくは苦痛でないという人間に育った時点でもう勝ち組。
しかし俺にとっての勝ち組が社会にとっての最低限なのだ。
もちろんそういう最低限以上の人にとってもの嫌いな人間もいるだろう。クソ上司とか。
でもそれでも社会人やってんのは多分そいつは嫌いだけど人間全般は別に嫌いじゃない好きな人もいるとかそういうんで帳尻があってんだろう。
でも俺はもう人とあーだこーだする気力もない。
みだしなみがあーだーこーだもする気もない。
そういう人間がどういう人間と類友状態になるかと言うと、俺に嫌いな人生終わったような路上喫煙者とかホームレスとかそういう連中。
んでやっぱり誰とも関わらないのがベストとなる。
この苦痛はおそらくほとんどの人に理解されないだろうなぁ。
あと大体予想通りなのもつまらん。
どこからかタバコの臭いが漂ってくれば爺さんか作業着かタクシー運転手か工事現場かDQNのたまり場だし、うるさいバイクの音が近づいてくればどうせDQNな格好したDQNなんだろなと思うとその通りだし。
予想→当たる→ほらね
っていうプロセスも最初は少しはいい気になるんだけど、それが積もり積もってくるとつまらん。わかりきったことなので。
以上
1年前